見出し画像

【短編小説】新人教育の依頼 #4


 こちらの続きです。


 部屋の入口付近に「懸念」は居た。
 ぶうぶうと醜い鳴き声を上げたゴブリンの手には見慣れない書物がある。背表紙部分に「中級」の綴りが見えた、魔道書の続編だ!
「っ、……ぁ、」
 ノアは顔をしかめた。気がついたときには頬を地面につけていた。言葉を口にしようとしたところで唇が上手く動かない。この術の正体をノアは知っている。魔力を奪い、身体の自由を効かなくさせる類いのものだ。魔術師適性が高ければ高いほど効果が強く出る傾向があるが、基本的に魔力を持つ生き物はこの術の範囲内では上手く動くことができなくなる。魔術の使用なんてもっての外だ。こんな不安定な状態で魔力を扱えば、待ち構えているのは魔術事故である。
 ノアは視線をエイベルに移した。彼はまだ両足で立っているが、斧を振るだけの力はなさそうだった。後衛三人の状況が見えない。おそらく魔力を奪われて上手く動けなくなっているはずだ。
 ノアはなんとか四肢に力を入れて立ち上がろうとするも、膝を地面から離すだけで難儀し、上体を起こそうとするだけで倒れ込みそうになる。エイベルは斧ではなく弓矢を扱おうとしていたが上手くいかないようだった。ゴブリンが醜く笑う。彼の手にはやはり古い杖があった。道具としては一般的なものであるが、この程度の術を発動させるには事足りる。
 逃げるように告げたところで、洞窟の出口はゴブリンが塞いでいる。そもそも上手く動けないのなら、逃げろと言われたところで返事ができるかどうかも怪しい。
 勝利を確信したゴブリンが、別の魔術を唱え始めた。風の魔力が集まっていくのが分かる。刃を飛ばす攻撃魔術だ。せめて新人魔物退治屋の三人だけでも助けなければ……とノアがあがこうとした、その時だった。
 後方から風が一直線に走る。質量を持った何かが、まるでゴブリンに吸い込まれるようにして飛んだ。ダークグリーンの外套がはためくのが分かった。目を白黒させたゴブリンの口からは血が溢れ、同時に魔力を奪い取っていた術の効力が切れる。
 影の手に得物が輝いている。ぬらぬらとまとわりついた血が、不規則な軌跡を描いている。
 ノアも、エイベルも、ステファニーも、今目の前で起きていることをじっと見ていた。静かに静かに、驚いていた。
 ……絶命したゴブリンの身体が、地に落ちる。
 風の主は無言を貫いた。何を言っても無駄なのだと分かっているようだった。
「アンヒューム……?」
 だから、静寂を破ったのがシルヴィアだったとしても、なんらおかしな話ではなかったのだ。
 あの術の中では、魔力を持つ生き物は上手く動けない。つまり、魔力を持たない生き物であれば効果は出ない。
 シルヴィアは震えていた。怒りと恐怖と悲しみの混じった顔で、真っ直ぐに彼――ラスターを見つめている。
「何で……アンヒュームが……ねぇ、なんで……」
「し、シルヴィア、落ち着いて! もしかしたら魔力がとっても少ない人かも、私知ってるの、伯父がね、病気で魔力がなくなって、ほとんど魔力の無い人みたいになって、だから……だから、」
 ステファニーがシルヴィアに語りかける。ほぼほぼ悲鳴に近い彼女の声を、当の本人が、たった一言で、切り捨てた。
「アンヒュームだよ」
 光を失った目に後悔はない。しかしそれ以上の絶望に似た何かが、目の奥底を闇に閉ざそうとしている。
「正真正銘の魔力ナシだ」
 シルヴィアの顔がみるみるうちに青くなり、そしてそのまま彼女は気を失った。
「シルヴィアっ!」
 目の前で白目を剥いて倒れたリーダーにステファニーがパニックになる。ラスターは足でゴブリンの死体を寄せた。帰るときに通りやすいように。ノアがシルヴィアの様子を窺っている。頭を打っていないかを確認しているようだ。
「どうしてだ?」
 ラスターの傍に歩み寄ったエイベルは、あくまで冷静に話をしようとしている。しかし、怒りは手の震えと瞳孔の拡張という形であらわになっていた。
「シルヴィアは、新ヒュラス教に熱心で、聖女の洗礼を近いうちに受ける予定だ。アンヒュームとの関わりは固く禁じられている。それを、俺たちはギルドに伝えていた。アンヒュームとは……仕事はできないと」
「…………」
「答えてくれ、頼む。そうじゃないと、俺……」
「いいことを教えてやる。他者に魔力ナシを公言するアンヒュームはほぼいない」
 ラスターはそれだけを言って、先に洞窟の出口に向かった。
「エイベル、残党の危険がある! 俺と行動を共にしてくれ!」
 ノアの声が遠くから聞こえる。主を心配した影の魔物・フォンがペンダントから現れてラスターの周囲をくるくると回った。
「いいんだよ、フォン。あそこで俺が動いていなかったら……みんな死んでた」

 ――先に戻ってる。
 ノアは、フォンを通じてラスターの声を聞いた。

 ギルドは大騒ぎになっていた。
 殺風景な部屋に閉じ込められたノアは、テーブルの上に数々の書類を見た。全て、全て、ナナシノ魔物退治屋を始めるときに書いた書類だ。その他に依頼報告書も揃っている。
 シノが、「がんばって」と言ってきた。
「あたしはあなたが正しいと思ってる」
 彼女の本心からの言葉に、ノアは少しだけ元気が出た。それでも、部屋に入ればまるでこちらが犯罪者だ。
 フォックスメガネの似合う女を先頭にして、ギルドの担当者たちが入室する。五人も必要なのかは分からない。シノはそそくさと部屋を出て行った。
 女が真っ赤な唇を開いた。ノアは慌てて椅子に腰かけた。
「あなたがギルドのアンヒューム把握に反対しているのは知っていますが、これが望んだ展開ですか?」
 ノアは、静かに首を横に振った。
「我々が、ラスターをアンヒュームであると分かっていたのなら、起こりえない事故でした」
「聖女の洗礼はルーツと接したとしても、挽回はできます」
 ふん、と担当者が鼻を鳴らす。
「よくもいけしゃあしゃあとそんなことが言えますね」
「俺は元々、ギルド側がルーツか否かの把握をすることに反対ですから」
「そのためなら、新ヒュラス教の人が傷ついてもいいと?」
「ルーツの人たちが『自分がルーツである』と公表することは、この世界においてはリスクが高すぎます。他国なら処刑されていてもおかしくありません」
「新ヒュラス教を熱心に信仰している方々がアンヒュームと接するとき、死ぬより苦しい目にあってるという知識がないようですね」
「…………」
「それとも、死ぬよりはマシとお考えなのかしら。もしくは『新ヒュラス教を信仰するなら魔物退治屋なんかやるべきではない』とでも?」
「俺はそんなことは言っていません。勝手な推測で被害を妄想するのはあまりよくないと思いますが」
 女がメガネの位置を直す。四人のギルド担当者たちは視線をそらした。ノアは息をついた。酷く喉が渇いていた。
「新ヒュラス教は確かにルーツと距離を置こうとします。ですがそれは宗派によっても異なり、あなたが思っているほど新ヒュラス教はルーツに対して攻撃的ではありません」
「それがどうしたというのですか」
 女は、鼻で笑った。
「ノア・ヴィダルさん。いいですか。ギルドは誰がアンヒュームであるという情報を開示するつもりはありません。こういった事故・・を減らすために知っておかなければならないと言っているんです」
 事情聴取はもう議論に発展していた。これはもう、互いの価値観をぶつけ合うだけの喧嘩である。フォックスメガネの女以外のギルド担当者たちはやる気がない、というよりさっさとこの聴取を終えたい様子であった。
 その時だった。
「ねぇ」
 いつの間にか部屋に侵入していたシノが、呆れた口調で二人の言い争いに割って入る。
「ちょっといいかしら? ゲストをつれてきたわ」
「関係のない人をここに呼ぶのは――」
「はい、入ってー」
 話を聞いちゃいない。扉が開いて部屋に入ってきた人物を見て、ノアは思わず立ち上がった。
「シルヴィア……」
 顔色が悪いシルヴィアは立つのもやっとのようで、ステファニーとエイベルに支えられてここまでやってこれたらしい。シルヴィアは少し沈黙を携えてから、ゆっくりと口を開いた。
「私は、新ヒュラス教を信仰しています。聖女の洗礼を受けるのはずっと夢でした」
「それをあなたが壊した」
 ギルド職員が割って入る。シルヴィアはギルド職員を一瞥した。そこに何か意思の光が見えたので、ノアは少し安心した。
「聖女の洗礼中はあまり外に出歩くなと言われます。魔力のない者との接触を避けるためです。でも、私はそうしたくなかった。なんでだろう、って思います。私が魔物退治屋をしなくても、他の魔物退治屋がいるのに」
 ギルド職員がわざとらしく目元を抑えた。
「自然なことです。そもそもアンヒュームが――」
「黙ってて!」
 ステファニーが叫ぶ。エイベルが「おおう……」と驚くのも分かる。彼女は比較的寡黙な方だ。声を荒げるタイプではない。
「今はシルヴィアが喋ってるんです、黙って聞いてください!」
 ギルド職員は顔を真っ赤にして、唇を閉ざした。ステファニーが続きを促す。シルヴィアはゆっくり頷いた。
「アンヒュームとの接触は、正直衝撃でした。ショックを受けなかったなんてことはありません。でも……」
 ゆっくりと、シルヴィアは息を吸う。肩が少し不規則に震えている。
「あのとき、ラスターさんが動いてくれなかったら、わ、私たちみんな死んでた……」
 シルヴィアがぽろぽろと泣き出す。ステファニーの目も心なしか潤んでいるように見える。
「聖女の洗礼どころの話じゃなかった……って、気づいて、怖くなって」
 ノアが、シルヴィアに歩み寄る。ギルド職員が血相を変えて止めようとするが、シノがそれを阻止した。
「君を、君の信念を、大切にしているものを、ひどく傷つけてしまったことを謝らせてほしい。……本当にごめん」
「わ、わらしも、っ、ラスターさんを傷つけてごめんなさい、っ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 勢いよくノアに飛び込んだシルヴィアを、ノアは簡単に受け止めた。
 次代の聖女は、華奢な体をしていた。


To be continued


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)