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【短編小説】ヒョウガの贈りもの #5

 ↓こちらの続きです。


 宴もたけなわ。月が空高く輝き、いきものの大半が眠るとき。
 その眠りを必要としないモノもいれば、拒むモノもいる。

「何も外に出る必要はなかったんじゃないの」
 ラスターは屋根の上で、少し大げさな声色を作った。
「部屋を冷凍庫にしてしまった以上、外に出ている方がよかろう」
 コガラシマルは一人月を見ていた。元々睡眠を必要としない彼ならではの対処法というべきか。ラスターはコートの襟もとをただしながら、コガラシマルの傍に腰を下ろした。
「……精霊族は、みんな奴隷になったのか」
「全員が全員ではない。某のように島の外へ逃げた者もいれば、抵抗運動のために精霊自治区に潜む者たちもいる」
「あんたも奴隷になりそうだったのか」
「そうだ」
 あまりにもあっさりとした返事に、ラスターは気を失いそうになった。屋根に目を落とす。この下ではノアとヒョウガが眠っているはずだ。
「ラスター殿は、首輪をご存じか」
「首輪?」
「我々精霊族は魔力を封じられると動けなくなる。アマテラスの連中は我々の魔力を封じるための道具を作り出したのだ。それが首輪だ。便利な構造をしていてな、小さな……掌に収まる程度の球を、首にめがけて投げる。軌道はどうにでもなる。魔力で制御できるからだ。発動すると、」
 コガラシマルは右手で自分の首を絞めるポーズをとった。
「装着される」
「それで動けなくなるのか?」
「そうだ。指一本すら動かすのが億劫になる」
 そういえば、かつてノアも同じ状態になっていた。魔術師は魔力を奪われたり消耗したり……ともかく、何らかの形で魔力を大量に失うと動けなくなる。以前新人魔物退治屋の教育の一環でゴブリン退治に出向いたときのことを思い出す。魔力を奪う術の範囲内で大半のメンバーが動けない中、ラスターはアンヒューム――生まれつき魔力を持たない人間なので、そういった環境下でもけろっと動くことができた。これはアンヒュームの利点のひとつだ。
「あんたほどの実力者なら、飛んでくる首輪を全部切り伏せそうなもんだけどな」
「……某でも長期戦で魔力を消耗した上で、大量の首輪を投げつけられたら対処が困難になることもある」
 指が、手が、ゆっくりと降りていく。それが死人の動きに似ていてラスターは瞬きをした。ああいう最期を何度も見たことがある。見ずに済んだこともあれば、見ずに済んでしまったこともある。
「某は首輪をつけられた状態で王に献上された。そこで己の末路を知った」
 これだけ外見がよい精霊であれば、己の力で組み伏せて穢したくなるものなのだろうか。ラスターにはよくわからない。なんせ強烈な冬と鮮やかな刀術の印象が強いせいで、どうせ采配するならいい具合に洗脳して兵士として起用する方がいいのでないか、と思ってしまう。
「それで、どうしたんだ」
「王宮を脱出した。首輪が耐えきれない量の魔力を一気に放出し、部屋を冬に閉ざしたのだ。……賭けではあったが上手くいった。そして外に飛び降りた。山を転げ落ち、なけなしの魔力で空を飛び、少しでも遠くに逃げようとした。全身擦り傷と打撲でひどい有様ではあったが、骨が折れていなかったのは奇跡だった」
「…………」
「冬の川のほとりで、某は自死を選んだ。氷で作り出した刀で命を絶とうとしたとき、ヒョウガ殿と出会った。あとは……そなたも知るとおりだ。某とヒョウガ殿は共に島を脱出した。その際にヒョウガ殿と契約を結び、ソリトス王国に降り立った後に冬が暴走し、プレメ村を冬に閉ざしたのだ」
「契約を結んだのは?」
「王の追手が迫っていた。待ち構える者もいた。某は島を出るまでに百人以上斬り殺した。アマテラス人も精霊族も見境なく、立ちはだかる者は全員斬った。ヒョウガ殿は……自分を置いて行けといった。某一人であれば島の脱出など容易だったからだ。だが某にはそれができなかった……」
「大変だったな」
「ああ。……だが、ヒョウガ殿は今、あの島にいたときよりも幸せだろうよ」
「あんたは?」
 ラスターはコガラシマルの方に目を向けた。
「あんたはどうなんだ?」
 双眸を閉ざしたままのコガラシマルからは、感情を読み取るのが難しい。ラスターは彼の目を見たことがない。瞳の色を知らない。まだ隠されている何かがある。そこに手を伸ばしていいのかどうかさえ、分からないのだが。
「あまり考えたことがなかった」
「だろうな」ラスターは笑った。「少しは自分のことも考えとけよ、ヒョウガが泣くぞ」
 沈黙に風が下りる。ラスターは少し身震いした。
「そなたは眠らないのか?」
「眠れないんだよ。元々不眠持ちなんだ」
「そうか」
「月でも見ているうちに、眠気が来ればいいんだけどな」
 ラスターは空を見た。月だけがそこにいた。屋根の下に気配がある。当然だ。ノアとヒョウガが眠っているのだから。

 酒の影響でやや魔力が強まった状態のコガラシマルと一緒に寝るのは危ない。魔力の影響を受けないヒョウガでも、「魔力の影響で低下した室温」の影響は受ける。多少寒さに耐性があったとしても、だ。いつものコガラシマルなら魔力を抑えるなどしてうまい具合に周囲を冷やさないようにしてくれるのだが、酒が入るとどうもそれが難しくなるようだ。
 その結果、肝心の来客用寝室はコガラシマルの冷気で完全に冷え切っており、肉の保存に適しても寝室としては貸し出せない。やむを得ずノアはヒョウガを自室に招いた。ヒョウガはギリギリまで居間のソファーで大丈夫だと言い張っていたが、ノアに言いくるめられてさくっと折れた。
「わ……」
 ノアの部屋を目にした人は皆同じような反応をする。どっしりとした書き物机。手紙や本で散らかっているが、ヒョウガはそこに自分が出した手紙が混ざっているのを見たようでまた赤くなった。本もたくさんある。ヒョウガはあまり本になじみがなかったので、こちらに関してはあまり興味をそそられなかったみたいだ。
「何か読む?」
 ノアが楽しそうに声をかけてくる。ヒョウガは首を横に振った。今は眠い。本を読み切ることは難しいだろう。
「ベッド、入っていいよ」
「狭くない?」
「ラスターと二人で潜ったときはなんとかなったから、大丈夫」
 ヒョウガは少しためらいを見せていたが、おとなしくもぞもぞとベッドに入り込んでいった。続いてノアが隣にもぐりこむ。……温かい。魔力の気配には確かに氷の存在があるが。ラスターと一緒に寝たときとは違う安らぎがむくむくと膨れ上がっていく。
「今日はありがとね」
 ノアの言葉に、ヒョウガはふにゃふにゃとした滑舌で返した。
「こっちこそ、いっぱい食べてくれてありがとう。すげーうれしかった……」
 眠気が来ているのかもしれない。本来ならこのまま眠らせてやるのが筋ではあるが、ノアにはいくつか話したいことがあった。それはヒョウガにとっても同じだったのだろう。
「ちょっと話したけど、オレさ、捨て子なんだ」
 ノアよりも先に、口を開いた。
「家追い出されて、都のハズレの森でずっと一人で暮らしててさ、だから生きてくには最低限料理ができなきゃいけなかったんだけど……」
「それで、自然と腕が上がっていったんだね」
「うん」
 ヒョウガは少しだけノアと距離を詰めた。
「……ほんとはさ、オレの親は、オレに野垂れ死にしてほしかったんだと思う」
 窓ガラスがカタカタ音を立てる。冬の風の音がする。ノアはヒョウガの頭を撫でた。冷えた空気が腕に突き刺さろうと躍起になるも、妙に熱がこもった腕にはちっとも効いていなかった。
 ノアに頭を撫でられて、へへ、とヒョウガは笑った。
「オレの家、刀が使えないやつはみんな捨てられてるから珍しい話じゃないんだけどな」
「例えそれが珍しいことではなくても、子供を捨てても構わないというのは違うと思うよ」
「うん……」
 髪がさらさらと指をすり抜けていく。ヒョウガがうとうとしはじめたので、ノアは急いで話を切り出した。
「どうして、俺に料理を作ろうって思ったの?」
 ノアはわずかに窓を眺めた。風の気配がある。
 ヒョウガは少し黙った。が、何か思い当たることがあったのだろう。うまく隠せていない自覚が出ていたらしい。ノアはじっと答えを待った。ヒョウガはもぞもぞと布団の中にもぐりこんでいった。彼の角が二本、ちょこっと布団の端から出ている。「えっと、」とか「うーん、」とか、深い意味をなさない言葉をいくつか並べているのが聞こえるが、ノアはじっと待った。
 ノアが引かないことを理解したのだろう。ヒョウガは観念して布団から頭を出した。そして口を開いた。
「……手紙が、来たんだ。ノアの元気がないから元気づけてやれ、っていう手紙」
「手紙?」
「うん。オレにできることをしたいなって思ったから来たんだ」
「誰からの手紙だったの?」
「分からない、けど……魔物のカラスが持ってきたんだ」
 月が冴えている。寒さの中で静かに輝いている。
「どんなカラスだった?」
 ノアは声を潜めて問うた。
 ヒョウガはふにゃふにゃの声で、しかし確かにこう答えた。
「水色の目がみっつついた、黒い羽が青く光る大きなカラス……」
 ノアは窓を見た。月だけがそこにいた。屋根に何かがのっかっている気配がある。
 ヒョウガはもう眠っている。ふにゃふにゃ言いながら眠っている。
「ありがとう」
 ……彼が起きたら改めて、同じ言葉を伝える必要があるだろう。それでも、ノアはもう一度、眠るヒョウガに向けて同じ言葉を繰り返した。


ヒョウガの贈り物 完

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)