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【短編小説】怪物のオムライス -Side Cobalt-

(アングイスもぽかぽか亭のことが大好きだった。だからこそ墓参りにはなかなか行くことができなかった)


 キレイな空き店舗の扉を引くと、ベルが鳴った。
 アングイスは店をきょろきょろと見回して、目当ての人物のもとに寄った。
「コバルト」
 一番奥の席。ここがコバルトの特等席であった。他の客に自分の姿を見せたくなかったからだ。
「なんだ、そんなに急ぎの用か?」
「えっと、……」
 アングイスはちょっとだけ目を泳がせた。コバルトは眉をひそめたが、辛抱強く彼女の答えを待った。
「ラスターからいろいろと聞いた」
 結局、上手い言い訳が思いつかなかったアングイスは素直に理由を答えた。
「…………」
 あいつも口が軽いな、とコバルトは思った。とはいえ、かつて「ぽかぽか亭」だった建物の「特等席」にしがみついていれば精神状態を心配されてもおかしくはない。だが、コバルトはここに居たかった。アングイスもそれをなんとなく分かっていた。
「あ、あのな……コバルト」
「回りくどいね、アングイス」コバルトは嗤った。
「何か言いたいことがあるならハッキリと言ってくれ、腫物みたいな扱いはゴメンだよ」
 アングイスは沈黙した。コバルトはため息をついた。
 時計の針は八時十五分から動かず、いくら待ってもオムライスは来ない。聞こえてくるのは明るい雑談ではなく、静寂に耐えきれなくなった身体の耳鳴りだけだ。
「すごく落ち込んでるって聞いたんだが、なんか……そーでもなさそうだな?」
「あたりが強いね」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「これでも感傷に浸っている方なんだよ、昔はもっとさっぱり割り切れたんだがね」
 アングイスは何度か瞬きをした。コバルトはぽつりとつぶやいた。
「俺が行ってアイツを連れ戻してりゃよかったんだ。石がぶつかってアザができても死ぬよりはマシだ。それにすら気が付かなかったのはあまりにも愚かだと思わないか?」
「石をバカにするな。下手なところに当たれば洒落にならないぞ!」
 アングイスの的確な指摘にコバルトは黙り込んだ。アングイスは少し肩を竦めたが、コバルトが懐からスキットルを取り出したのをみて顔をこわばらせた。そんな彼女に気を遣うことなく、コバルトは中身を雑に飲む。アングイスの顔色がみるみるうちに変わる。最近のコバルトはアルコール摂取量が多いからだ。
「行くなといいつつ突き放して、なんの対策もせずにこのザマだ。どっかのバカみたいに『俺が殺したようなもんだ』とポエムを並べるつもりはないが、どうやら俺も同じようなバカだったらしい」
 口角から零れたウイスキーは薄暗い店内でわずかな光を受けた。アングイスにはそれが血に見えた。コバルトが血を吐いているように見えたのだ。
「それとも、ビトスの脚を折っていればよかったかな」
「……脚を折ったところで同じだと思うぞ、アイツはきっと、」
「そうさ。アイツはバカだから、這いつくばってでも王都で店を開いただろう」
 コバルトは嗤った。酷く疲れているようにも見えた。
「バカな夢だよ、魔術師と魔力ナシアンヒュームが手を取り合えるわけないだろうにね」
「ワタシはな、ワタシは……正直、ビトスならやってのけるような気がしてた」
 コバルトが顔を上げた。アングイスの体が少し跳ねた。
「多分みんな……程度の差はあれ、期待はあったと思うぞ」
 は、とコバルトは嘲笑した。アングイスは泣きたくなった。ここにラスターがいてくれたら、コバルトからスキットルを取り上げてくれただろうか。
「あいつの夢が全員を感化させてたってことかい?」
 アングイスは頷いた。そしてコバルトを見た。コバルトはため息をついた。そしてテーブルにスキットルを置いた。
「バカだねぇ。アイツも俺もお前さんたちも」
 コバルトは泣いてはいなかった。背もたれに寄りかかって何かを軽く見上げていた。彼は虚空を見つめていた。それはちょうど、注文を取りに来たビトスの顔が位置するところであった。
 ――ごちゅーもんをどうぞ!
 と、いった風にして。
 アングイスはこのとき、ビトスの姿を確かに見た。賑やかな店内。厨房から漂うバターの香り。ビトスの姿がこちらに影を落とす。彼は笑いながらコバルトたちにメニューを差し出すのだ。
 アングイスはふと、あの日のことを思い出した。ビトスが差し出してきたのがメニューではなく、新しい料理のアイディアスケッチだったときのことを。
「それで、新しいメニューを考えたんだけど……君をモチーフにしたんだ」
「……バカか?」
 ビトスはもともと鈍感な方だ。多少の罵倒ならさくっと流してしまう。コバルトもコバルトで、本心から彼をバカだと行っているわけではなさそうだったが。
「ブルーフラグメントっていうお花から取れる着色料をホワイトチーズソースに入れて、大きなオムライスにかけたんだ」
 ビトスはそう言って、オムライスの載った大きな皿をコバルトの目の前に置いた。見た目はやや難ありだが、それを差し引いても食欲の湧く香りと盛り付けなのは流石と言ったところか。
「で、何でこれが俺なんだい」
「いつも青い服を着てるから」
「…………」
 これを聞いたアングイスがゲラゲラ笑ったので、コバルトはため息をついた。
「つまり俺が赤い服を着てたら、この食欲の失せそうな色のソースはケチャップになってたのか」
「コバルトオムライスにしようかな」
 コバルトの的確なツッコミも軽くかわして、ビトスはいよいよ名付けに入る。
「分かりやすいよね、コバルトオムライス」
「おい、待て。それはやめろ」
「じゃあ、どんな名前がいいのか教えてよ」
 まだ笑い転げているアングイスをこづいて、コバルトは自嘲混じりにこう答えた。

 ――怪物のオムライス、とかでいいんじゃないか。

 アングイスは、思わず視線を逸らした。何の因果か、そこには見慣れたメニュー表が置かれている。言わずもがなぽかぽか亭のメニュー表だ。それがテーブルの隅に置かれている。この空き店舗を掃除した業者が回収し忘れたものだろう。
 アングイスは思わず、メニュー表をひったくった。コバルトは僅かに目を細めた。

 新メニュー!大きさ2倍!
 「怪物のオムライス」 銀貨15枚
 おいしさモンスター級! ペールブルーの怪しいソースが引き立てる特別な味わいがここに!

ぽかぽか亭 メニュー表

 アングイスは目元に力を込めた。鼻が僅かに痙攣した。コバルトの視線がこちらに向いていないことを――いや、意図的に向けていないのだ。コバルトはあえてアングイスを見ないでくれている。
 その隙に、アングイスは目元を擦った。何もなかった風を装った。
「……コバルト、ワタシは一応それなりに料理ができるぞ」
 アングイスは素早くスキットルを没収すると、胸を張ってそんなことを言った。
「何が言いたい?」
「オムライスを作ってやろうか」
 コバルトはアングイスに手を伸ばした。スキットルを取り返そうとしているのだと気付いたアングイスは、即座に距離を取った。
「酒はダメ! オマエ最近飲みすぎだぞ!」
 キッチリとスキットルに蓋をしながら、アングイスはコバルトを牽制する。一方のコバルトもそう簡単には食い下がらない。
「この姿になってから酒以外の楽しみがないんだよ」
 そう言って自身の胸元をとんとんと叩いた。
「ぬぬぬぬぬ……煙草をやめたのはいいがその分酒飲んでたら話にならないじゃないか! まずは飯だ! オムライスを食え!」
「飯ならオムライス以外がいい」
 その言葉は複雑な重苦しさをまとって、まっすぐにアングイスの鼓膜を震わせた。アングイスは目をぱちくりとさせたが、彼の言葉の意味するものをほとんど正確に理解した。
「じゃあ何がいい? 人並みに料理はできるが、あんまり難しいのはできないぞ」
 コバルトは席を立ち、店の出口へと歩いていく。アングイスも後に続いた。
「歩きながら考える」
「思いついたメニューによっては買い物に寄るからな!」
「はいはい。あと、スキットルを返してくれ」
「飯を食ったらな!」
 アングイスはスキットルを両手でしっかりつかみながら答えた。コバルトは肩を竦めて、今日のブランチをどうするかを考えた。

 ――悲しかろうが、腹は減る。




怪物のオムライス 完


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)