劣等生と眼鏡の魔術師

 私はシドニーの小学校に通っていたころ、ひとり鎖国をしていた。2年生で現地校に転入したが、たった3日で、英語での交流を遮断することに決めてしまった。幼稚園に入る前から日本語をぺらぺら話していた私にとって、言葉が通じないことは絶望だったのだ。だから小学校のころは劣等生で、自信がなかった。
 5年生になって、新しくクラスの担任になったのはオージー(オーストラリア人)には珍しい、気難しい顔をした厳格な先生だった。オージーの先生は大概おおらかを通り越して適当で、授業中にマニュキアを塗りながら話している先生もいるくらいだったので、厳格な先生にクラスメイトたちも、私も戸惑っていた。4年生までは、先生が言っていることがわからなくても、ぼーっと絵を描いてやり過ごしていたのだが、同じようにしていると先生の眼鏡の奥がきらりと光る気がして居心地が悪かった。
 ある日、週に1回の全体集会で、私はいつものように何を言っているかわからない上級生のスピーチを無視して手遊びをしていた。しかし、その日はいつもと違った。話している内容が、わかるのだ。思わず顔を上げて日本人が話しているのではないかと、確認してしまった。もちろんそんなことはなく、私は平静を保ちながら密かに感動を覚えた。3年経ってやっと、英語が聞き取れるようになった。自信のない劣等生だった私は、そわそわした気持ちを抱えながらも、勘違いかもしれないからこのことは秘密にしようと考えていた。
 教室に戻る途中、あの眼鏡の先生に声をかけられた。びくついて顔を向けると、先生は笑顔だった。「今日は、スピーチ聞き取れていたんじゃなか?」驚いて咄嗟に、”No, I didn't!"と声を裏返してしまったことを、いま少し後悔している。それからしばらくは、この人は他人の心が読める魔術師ではないか、と本気で考えた。だとしたら、怖すぎる。そう思って、先生に真相を聞くことがないまま、6年生になるとともに帰国してしまった。

 今でもあのときの不思議な体験を思い出す。でも、最近わかるようになったのは、あれが魔法でも特殊能力でもないということだ。先生は、英語が話せず自信を持てない私を、だれよりもよく観察してくれていたのだ。異国の学校でも私らしさを発揮することを望んでくれていたのだろう。それがわかってから、思い出の中の先生は、眼鏡の魔術師から生徒想いの優しい先生に変わった。

 外国で暮らすことは、私にとって簡単ではなかった。でも現地の人たちは、外国人の私を受け入れることに留まらず、優しい想いを注いでくれた。その思い出が、シドニーを私の大切な故郷にしてくれる。

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