Yuzu Kobayashi

「科学をだれもが楽しめるコンテンツにしたい」日常のことから、科学のことまで発信していく…

Yuzu Kobayashi

「科学をだれもが楽しめるコンテンツにしたい」日常のことから、科学のことまで発信していくのでよろしくお願いします。   博士(科学)になりました。理化学研究所にて、「化学反応を単分子レベルで理解する」ための研究に邁進中!

最近の記事

2023年博士課程ラストイヤーの振り返り

2024年になりましたね!!(遅い) 今年の年末年始は4日くらいゆっくりと休むことができました。必至で実験していた昨年のお正月がずいぶん昔のことのように感じられました。 そう…昨年は、博士課程のラストイヤー。実験の大詰め、論文執筆、学会参加、博士論文とディフェンス、就職活動...すべてが重なった怒涛の一年でした。誰の役に立つかはわかりませんが、私の博士課程のラストイヤーはこんな感じだった!というのを個人の振り返りついでに共有します。 ※ちなみに、2020年に企業を退職して

    • 女子大学院生優秀賞受賞とオープンサイエンス

      日本表面真空学会の女子大学院生優秀賞を受賞し、名古屋で開催された表面真空学会学術講演会にて表彰式に参加してきました。 9月にすでに大学院生は卒業してますが、3年間の成果を評価していただきうれしいです。 この賞は、当学会への若手女性研究者の参加・活躍を促進し、ダイバーシティ・インクルーシブの精神に則った研究活動環境を早期実現するために創設されたものだそうです。 女子だけにこのような賞があるのはなぜなのか、と思わないわけではないですが、 まずはこういうチャンスをひとつひとつ

      • 研究者として新たにスタート!

        初めての方、こんにちは。新米研究者をやっております小林柚子と申します。academistから移動してきてくださった皆さん、またお会いできてうれしいです! 私は京都大学大学院化学専攻で修士を取得したあと、1年半企業研究者として働き、退職して2020年9月に東京大学大学院新領域創成科学研究科に入学、主に理化学研究所で基礎研究に従事して2023年9月に博士号を取得しました。約3年間、academistという学術系クラウドファンディングサイト(https://academist-c

        • 研究活動 「雑誌会」

          いきなりですが、私は「巨人の肩の上に立つ」という言葉が好きです。 私たちひとりひとりは小人であっても、過去の人たちが培ってきた知識という巨人の肩に乗ることで遠くまで見通すことができる。最先端の科学が先人たちの知恵の上に形成されることを表している言葉だと理解しています。 では、巨人の肩の上にはどうやって乗ればいいでしょうか。それは「勉強すること」です。博士課程まで進んだというと、「勉強が好きなんだね」といわれますが、私は「勉強」と聞くと今でも背筋がぞわっとしてしまうくらいに

        2023年博士課程ラストイヤーの振り返り

          大手企業を辞めて博士課程に入学する

           学部と大学院、京都で過ごした7年間で得た結論は、「科学が好き」だった。来る3年間、次はどんな結論が私を待っているだろうか。  2年前、私が博士課程進学ではなく就職することを選んだのには、いくつか理由があった。アカデミック特有の不安定さへの懸念、女性のロールモデルの少なさ、師事していた教授の退還。対して、安定した財源と雇用契約で研究ができ、産休育休制度も充実している企業研究者が魅力的に見えたことは間違いない。 でも一番は、怖かったのかもしれない。研究室内においてすら、取りた

          大手企業を辞めて博士課程に入学する

          書くことに詰まったときの覚書き

          イメージを言葉にすることは難しく、内面からはまとまりのない思考ばかり出てくるようになって、こんな文章でもを書きつづけることに壁を感じている。  あしたのジョーを描いた漫画家が、下書きをけしごむで何度も消しながら、いかにも要領が悪そうな感じで原稿を書いていた。本当にベテランの有名な漫画家なのだろうかと一瞬疑ったけれど、でもちがう。素晴らしいアイディアを持っている人が素晴らしい表現者なのではない。素晴らしいアイディアをただ持っているだけの者よりも、月並みのアイディアを表現し完成さ

          書くことに詰まったときの覚書き

          劣等生と眼鏡の魔術師

           私はシドニーの小学校に通っていたころ、ひとり鎖国をしていた。2年生で現地校に転入したが、たった3日で、英語での交流を遮断することに決めてしまった。幼稚園に入る前から日本語をぺらぺら話していた私にとって、言葉が通じないことは絶望だったのだ。だから小学校のころは劣等生で、自信がなかった。  5年生になって、新しくクラスの担任になったのはオージー(オーストラリア人)には珍しい、気難しい顔をした厳格な先生だった。オージーの先生は大概おおらかを通り越して適当で、授業中にマニュキアを塗

          劣等生と眼鏡の魔術師

          「諦めろ」の裏のやさしさ

           画家のゴッホと、その弟を描いた小説を読んでいる。弟は、革新的な兄の絵が世間に認められるはずだと希望を持ちながらも、幾度となく打ちのめされる。その苦悩がなんとも切なく、胸を締め付けるので、諦めてしまえば楽であろうと小説の中の彼に語り掛けたくなる。どこかで目にした兄のゴッホについての記述には、「報われることはなかった」とあった。それを知識として持っていたものの、「報われなかった」人生には何千回もの「信じたい」と、それと同じだけの「もう信じられない」が繰り返されていたこと実感する

          「諦めろ」の裏のやさしさ

          嫌い

          高校時代ろくに勉強していなかったのに、親が医者だから浪人して私立医学部に行ったひとたちが嫌い、AO入試で名門私立に合格して商社に入り何人とワンナイトしたと自慢げに語るひとたちが嫌い、旧帝大に入ったのに向上心もなくテニサーで女子大の女の子にちやほやされて慢心しているひとたちが嫌い。ストレートな歌詞が人気のあの歌が嫌い。チョコレートのオレンジピールが許せない。 世の中、嫌いなものだらけだ。 でも最近は、その「嫌い」が弱まっている。 これまで「嫌い」を原動力に、なにをすべきか考え

          役に立つとは

          それ何の役に立つの?と聞かれていつも返事に困っている。私の研究は人命に直結するわけでも、世の中を便利にするわけでも、大きなお金を動かすわけでもない。医者や弁護士はもちろん、商社や広告関係の仕事をしている友人たちの方が「役に立っている」に違いないと自分でも納得していた。だから私は、私の研究の価値を役に立つことと切り離した自分の好奇心にあるのだと理解していた。 しかし最近は、世界が少しちがって見えている。たとえば今、PCR検査の技術がなかったら、どれだけ状況が悪化していただろう

          役に立つとは

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          科学を誰もが楽しめるコンテンツにしたい。そんな夢を持っています。 まずは、日々考えたことを文章にするところからはじめてみます。

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