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【後編】 私が幸せになるたの第1歩

前回の続きです

そんな良い夜を過ごした次の日(終わったの2時半だから当日)

初めてのカウンセリングに行ってみた
自分と向き合うためには、これまで誰にも話せなかったこと(軽くは話したことあるけど)を表出することが必要だと思って生きてきたけど、勇気とお金と時間のどれかが邪魔して幾度となく諦めてきた

初っ端から泣いてしまったけど、初めて自分の抱えてきた生きづらさや思いを言語化できた1時間20分
特にアドバイスをしてくれるわけでもなく、私の話を否定せずに聞いてくれて深めてくれる
さすがプロだなと感動

カウンセリングで自分の感情を言語化して分かったこと

・感受性が豊か☆
・優しすぎる
・他人に迷惑をかけてはいけないと思っている☆
・普通とは多数派を指していることであって正解ではない
・どこかで無理した人間関係を続けてきた☆
・私のことを変わってると思わない人もいる
・社会人となった今いい意味で自分に合った人を見つけられる
・自分は幸せになってはいけないと思っている☆
☆は自覚あり
(まだまだたくさんあるけど、抜けちゃった部分もあるのでこれくらいに)

自分の悪いところを見直すにあたって、自分で悪いと思っているだけで第1歩だし、自分+相手から悪いところを指摘されたら責められたりするのは良い方向に向かわない気がした。
もちろん悪い事は悪いけど、犯罪を起こしたわけでもないわけで、自分もだけど指摘する責める事が正義であるというのは怖い事だと思った。
そんな時こそ自分を肯定してくれる、否定せずにいてくれる場所や人が必要で、飛び込むことの大切さを知った。
何か辛いとき実家に帰りたくなるのは、何があっても絶対に見捨てられないという心理的安全性が確保されてるからなのかなぁ

そして悩みの種である人間関係(めちゃくちゃ下手)
他人に迷惑をかけたくないという思いが強いというか正解だと思っているからこそ気を遣いすぎるし、でも相手はそこまで気を遣わない(いい意味で)から私の中でのgiveand takeのバランスが崩れて勝手にしんどくなってしまう。
きっとどこかで期待をしてしまっているし、その期待は自分の中でしか得られないし解決できない。期待するって自分勝手で厄介なもの。
期待しないで生きるって難しいけどきっとその方が楽に生きれる。
学校や会社で出会った人たち
もちろんこれまでの人生、後半になるにつれて自分で選んで入ったコミュニティもあるけれど、その小さな世界で自分にあった人を見つけるってなかなか困難。でもその世界で生きるためには無理して見つけないといけなかった。もちろんこれまで仲良くして時間を共に歩んでくれた人たちには感謝しかない。関係が壊れてしまったとしても過ごした時間は思い出だと思ってる。
でもどちらかが共に歩みたくないと感じてしまった時にそれを引き留めてしまうような関係は、果たして良い関係なのか。
カウンセリングを通してそれは違うと思った。そもそも友達って…とはなるけれどどちらかが無理をしている関係はお互いにとってプラスにはならないし、それを許し合えるのか許し合えないのかはその関係次第。
正直今私に友達が何人いるかと言われれば1人?だと思う
でも、これから人生を共に楽しく歩める友達に出会える可能性だってある
それが1人でも2人でもできるならそれでいい
できなかったらまた新たな場所に探しに行こう

そう思えた時間だった

そしてそう思わせてくれたのは言うまでもなくPOOLO5期

既に勇気を振り絞って入ってよかったなって思えている


p.s.
POOLOに入るまでnoteを書くことに対して、意識高い人がやってる、綺麗事しか書かないと思ってたけど
今私がnoteを書く理由は、自分自身の感情を表出し整理するため
だからこの人ちょっとめんどくさいなって思われるようなことばかり書くかもしれないけど、私が私のために書いているんだってマインドでいるので悪しからず。


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