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【前編】 私が幸せになるための第1歩

先日書いたネガティブnoteに予想以上にリアクションがあり、嬉しくもありちょっと恥ずかしくもあり。
でも私もだよ!とか変じゃないよっていう言葉がどれほど心に染みたことか。

でも勇気を振り絞って吐き出したことでかなりの体力を奪われ、プライベートでもかなりしんどいことがあり、2日くらいやる気と食欲の減退、涙が止まらないというまさに病んでる状態
そんな時に頂いた1on1の依頼
正直メンタルどん底だったのでちゃんと話せない気がして何度か断ろうかと思ったけど、心の中でうずうずしている気持ちを出したいというのが大きくて強行突破
いざ1on1の時間
初めましてなのに5時間くらい話すといういい意味で意味わかんない展開に。
今まで私だけが感じてると思っていたネガティブな感情や”普通”とされる様々なことへのモヤモヤを思い切って話してみたら、
それって変じゃないと思うよ
自分も同じ感情持ってるよ
という答えが返ってきた。
それって私には初めての状況だった
だいたいネガティブな感情を話すと、少し困った顔をされる(自分がそう受け取ってしまう)、飛んだ提案をされる(私にとっては)などなどで、話したことへの申し訳なさが積もる限り。
それは私がそう感じてしまっているだけかもしれないし、本気で受け取ろうとしてくれた時もあったかもしれない。
けれど
結局この辛さってわかってもらえないんだよな
という気持ちが勝ってしまう
同じような感情を持っている・同じような体験をしたことがある人にしか分かり合えないこともある
それは自分も同じで、例えばずっと友達に囲まれてきた生きてきた人の楽しさや苦悩はわからない

いろんな特性を持つ人々で溢れるこの世界で
私が一緒にいて幸せになれる人や場所を選ぶ権利はあるし
その機会はこれからもたくさんある


私が生きている意味は私自身が幸せになるためであって
それが周囲の幸せにもつながるのではないか

自然とそう思える時間だった

そしてもうひとつ

どういう死に方をしたいかという話で
 
” ハッピーな死に方をしたい ”

という言葉を聞いた瞬間に私の価値観が180℃変わった

これまでの私は、
今私が死ねば何人の人が泣いてくれるのかな
私が死んだことを後悔してほしい
誰かを恨みながら死ぬんだろうな
次生まれ変わったら幸せになれるのかな
というメンヘラ染みた誰も幸せになれない死に方を望んでいたし、そういう死に方が私にとっては合っていると思っていた
でもこの思いは瞬時に

死んだら相手が後悔したかや何人泣いてくれたかなんて分かんないし
恨みながら死んでなにが報われるのだろうか
どうせ死ぬんだから自分が幸せな状態で死ぬのがいいな

という思いに変化した
自分でもびっくりしたけど1つマイナスな感情が飛んでった気がした

ちょっと長くなるので後編へ



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