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自己肯定感が高い人間は存在しない

 どうにもクソデカ主語で断定的でセンセーショナルなタイトルにしましたが、これは決して『世界中の誰もがどんよりしている』わけではありません。このタイトルにはカラクリがあります。
 僕はこの『自己肯定感が高い低い』という言葉に、少し疑問を感じています。なぜなら、僕は毎日ハッピーで自分を卑下しない人間ですが、自己肯定感が高いとは別に思っていないからです。

 すなわちこの世には、
・『自己肯定感の高い人』
というのは存在せず、
・『自己肯定感が低い人』
のみが存在するのではないか、と僕は思います。それはなぜか。
 自己肯定感という言葉に、まるで上下に針が振れるようなイメージを与え、低いもあれば高いもあるという風に感じがちですが、世の中には自己を否定する人間と、否定しない人間が居るというだけのことなのではないかと考えています。そして『自己を否定しない人』にとっては、自己を否定するもしくはしないという選択肢がそもそも無いのです。自己とは否定する対象ではないのです。

 そもそも自己肯定感が高いとはどういう状態なのでしょうか。「ああ〜、私は最強だわ、顔がいいしスタイル良いし、仕事もできるし私はなんて良い女」と言う状態でしょうか?それはただの高慢なだけだと思います。結局大事なのは、『自分がダメな奴だと悲観しない』=『自己肯定感が低くない』ということです。低くないというのがあるだけで、その状態は『普通』です。

 思えば、僕が自己肯定感という言葉を知るようになったのは、おそらく2015年ごろからです。最近とまではいいませんが、昔からあった言葉ではないはずです。
 当時、僕にはメンヘラの彼女がいました。顔も体型も髪も身だしなみもレベルが高く、委員長タイプで仕事が出来、世間の人たちと比べると女の子としての魅力の偏差値は明らかに高いです。しかしそれでも、自分を否定する癖が強い。夏場の左手首にはリストバンドが欠かせない。僕から見ると明らかにレベルが高いのに、どう考えても卑屈になる必要は無いのに、です。
「自己肯定感の低い人の気持ちは、ぽんどさんにはわからないよ」
はい、わかりません。自分自身を否定するなんて。自分自身というのは世界の何よりも、誰よりも大事なものである。肯定とか否定とか、そういう評価の対象ではない。確かに他人と比べたら僕はダメなところ多いから上を見たら劣ってるなぁと思うけど、それでもそれが自分である。
 自分より凄い人なんてびっくりするほどいるし、自分よりすごくない人だってびっくりするほどいる。気にしたってしょうがない。

 ただひとつ確かなのは、彼女はそれを知らないわけではない。むしろそんなことはとっくにわかっている。メンヘラの扱いを間違える人は大抵ここです。言葉での励ましや、考え方を変えたりすることで根本的に解決するだろうと考えるのは、自己肯定感が低くならない人間の考えです。そもそも高め方や考え方を知らないわけではないのです。そんなもの彼氏如きに言われるよりもずっと前から、悩んで調べて色々試していると思います。
 しかし理屈ではなく、どうしようもなく悲しみや劣等感や希死念慮に包まれてしまうのだと。普通に暮らしているだけで、何の理由もなく不意にそういう気持ちに襲われて、いつも耐えなければならないのだとしたら、これを読んでいる人にそういう人がいたら申し訳ないが、それって辛いよ。僕は特に明確な理由がなければ悲しみや不安や希死念慮は訪れないから、その辛さに共感する事はできない。できることと言えば、その辛さを軽く見積もらずに、共感できないなりに気を遣うことぐらい。それすらも余計なお世話と言われるかもしれないけどね。

 自己肯定感という言葉は間違いなく、元々あった『自己否定』という言葉からきていると思います。現代特有のものではなく、大昔からそういう人は一定数いて、言葉が代わっただけなのでしょう。
 今回の話を元に考えると、自己肯定感だと高さ低さという測りになってしまいますが、自己否定感であれば『ある』か『ない』か、もしくは『強い』か『弱い』かという測りになり、分かりやすくなると思います。しかしそれはきっと、自己否定感を無くすというよりも自己肯定感を上げると言うマイナスなイメージからプラスのイメージへと前向きになろうとする工夫のあらわれなのかもしれませんね。

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