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不思議な夕暮れ

 価格の安さだけを考えて予約したホテルのある場所は、聞いたこともない町の名前を冠した、聞いたこともない駅のすぐ近くだった。
 部屋に入ってベッドに腰かけ、グーグルマップで現在位置を俯瞰する。駅前だというのに居酒屋らしきものは見当たらず、僕は思わず舌打ちをした。
 軽くシャワーを浴びてから部屋を出る。ルームナンバーが刻印された古めかしい棒状のルームキーを誰もいないフロントに預け、ホテルから一歩出た。陽が沈む少し前で、外はまだまだ明るかった。
 大仰に景色を見渡してみる。右には駅が、左には商店街のアーチが見えた。線路の反対側にあるかもしれない繁華街に賭けようかとも思ったが、酔った状態での帰りを考えて素直に近そうな商店街へ向かうことにした。
 商店街というもの自体が時代に取り残されているという事実はさておいて、その中で軒を連ねる店たちをまじまじと見ながら進むと、時代に取り残されている感覚を覚えた。どう見ても採算が取れなさそうな文房具屋、どう見ても採算が取れなさそうな時計屋。道楽という単語を心の中に浮かべながら失っていく興味に比例してゆっくりと歩幅を速めていった。
 食事を出しそうなところ以外が目に入らなくなってきたころにふと立ち止まり、僕は違和感を覚えた。
往来を歩く人が多い。
 僕が想像していたよりもずっと、僕と同じ方向に歩く人が多い。つまり、商店街の奥へ進む人が。その年齢層は高く、足腰は弱そうで、いかにも地元住民という感じがする。
 何か祭りでもあるのだろうか。もしそうなら、そんなチャンスは滅多にない。もし地元の祭りなら、参加しない理由はない。二度と参加できることはないだろうし、ハレの日ならきっと出店も出てるだろう。美味しいもの、楽しい雰囲気、生涯に一度の体験、全てが味わえる。あの時に左へと向かった僕を褒めてやりたくなった。
 そのまま進んでいくと、その先には更なる人だかりが見えた。そこが周りの皆の目的地なのだろう。僕の目的地も、自然とそこになった。
 たどり着くとそこはもう山の麓であり、そして大きな公園のようでもあった。舗装がされているようなされていないような、芝生が敷き詰められているが所々剥げているような、そんな広い敷地にはかなりの人数が集まっていていた。集まっている人たちはやはり地元住民のようで、これはやはり祭りだろうか。しかし、出店はなかった。非常に残念な気持ちになった。粉ものとビールを受け入れる準備はとうにできていたのに。
 人だかりを避けながら山の麓へと進んでいく。ここはどこなのだろうか。公園なのだろうか。最初に公園かという印象を受けた理由は、鳥居や寺院のような宗教施設のシンボルマークが見当たらなかったことだった。しかし人で隠れているだけで山肌が見えるところまで行くと何の催しなのかが分かるかもしれない。知らない土地で催されている何か、その伝統。それらを間近で見ることも、旅の醍醐味だろう。
 山肌の近くまでくると、面白いものが目に入った。山肌に直接、真っ黒なシャッターと思しきものが設置されている。それは個人宅用のカーポートシャッターのようで、まぁ変なものではあるけれどそんなに違和感は覚えなかった。これを中心に人たちが集まっていることは何となく感じられたので、この催しはこのシャッターが主役なのだろうという気がした。
 隣に立った人に、さりげなさを装って話しかけた。
「すみません、これは何ですか?」
 すると、男性は答えた。
「開くんだよ。これが」
 開くらしい。このシャッターが。御開帳というやつだろうか。やはり土着信仰に関連した宗教施設なのかもしれない。
 注意深く観察した。やはり富裕層家庭にある車庫に備え付けられたシャッターにしか見えない。浮いた錆の上から塗装を繰り返し、いびつに太くなった鉄が頑丈さを物語る。
 ほどなくして、シャッターは動き出した。ひとりでに。上から下がるようにしてシャッターは開いていき、カーポートシャッターを想像していた僕は『そっち方向か』と思った。
 開き切ったところで、男性はシャッターに近づく。意外にも周りにいる人たちは動いたシャッターに無関心のように見えた。シャッター自体は僕の身長よりも長く設置されていたのに、それが開いて見えたのはわずかな隙間で、痩せた人がギリギリ通れるだろうかというくらいの穴だった。男性は僕を見てジェスチャーで促し、僕はそれに導かれるままにシャッターの奥を覗いた。
 シャッターの奥の山の中は真っ暗で、少し怖いというか、恐れ多いような感覚を抱いた。しかし、男性はジェスチャーで入れと促してくる。入れはしても出られなくなったらどうするんだと怖くなったが、なんとなく流れに逆らうことができず、僕は意を決して頭を横に傾け、その長方形の穴に突っ込んだ。
 狭いのは入口だけで、身体を全て入れると普通に立ち上がることができた。外から覗くと深淵の暗闇にしか見えなかったが、中に入ってみると実は光が見えることが分かる。何度も瞬きしながら見渡してみると、山の中はとてつもなく広い空間であることに気付いた。どこまで続いているかもわからず、そして天井もかなりの高さがあった。薄暗くてよくわからないが、天井には穴がいくつか空いているようで、そこから光が差し込んでいて広い空間をレンブラント光線のように直線的に照らしていた。夕暮れだというのに、それでもこんな真っ暗な場所に差し込めばそれはもう充分強い光だった。
 山の中にこんな広い空間があるとは思ってもいなかったせいで、僕は完全に呆気に取られて放心していた。気が付けば男性も中に入ってきていたようで、僕の隣に立った。
「なんで作られたのかはわからんらしい」
 訊きたかった質問を先に答えてくれた。祭礼用か、居住用か、軍事用か、いずれにしても異常な広さであるとしか言いようがなかった。
 差し込む光が綺麗で、天井から目が離せなかった。僕は目を離さないまま、もうひとつ気になったことを質問した。
「なんでこんなすごい場所があるのに、全然観光地化されていないんですか。僕今日初めて知りましたよ」
「いつ崩落するかわからんから、あんまり大っぴらには宣伝できんらしいな」
 確かに、上にネットが備え付けられているわけでもないし、コンクリートで構造的に安全になるように補強しているわけでもない。岩をくりぬいただけなのだろう。お役所の都合ってやつなんだろうな。貴重なものを見られた僕は男性にお礼を言って、外に出て今度こそ飲み屋さんを探した。

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