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シナリオコンクール時代のお話。

他人から見たら「え、なんで!?」と思われてしまうような無茶な選択を、自分でもコントロールできない何らかの衝動で、選択してしまうことが人生には往々にしてある。

2019年。
六本木一丁目にある広告会社で働いていた私は、週1で『会社から高円寺の自宅まで歩いて帰る』という謎のイベントを開催中だった。
営業職だったこともあり、日々数字やノルマに追われていて、寝ても覚めても「〇〇万足りない」「A社に〇〇万提案」と24時間頭の中で電卓を叩き散らかし、毎日心臓がずっとドッドッドッ…と鳴っていた。
このままでは私は絶対に早死する。
そこで始めた週1度の3時間弱のウォーキング。歩いて帰る時間は、好きな音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりと、とにかく色んなことがリセット出来る時間だった。

シナリオ講座は当時赤坂にあり、会社から近く、散歩中に発見した。なんか面白そうだなとノリで講座を申し込んだが最後。
その後の人生がこんなにも大きく変わってしまうとは、当時の私は想像もしていなかったのである……。

授業を受け持つ脚本家の先生は3人。まず面談があり、開口一番ある先生に、「上野さんは本気で脚本家になりたい?」と聞かれる。
私には、何も考えていない時ほどその場の勢いでこれかな?と思う言葉を言ってしまう悪い癖があり「……はい、かなり、本気です」と神妙な面持ちで答える。すると先生はそれでいいと言わんばかりに大きく頷き、「本気な人が来てくれて嬉しい。頑張ってね」と笑ってくれた。

講座に通い出したものの、仕事に忙殺されて結局作品は数本しか提出できず、それでも講座終わりの飲み会にはちゃっかり参加する。
先生方や受講生と映画やドラマの話をするこの時間が、なんだかんだ一番楽しかった。
あの頃脳内でずっと電卓を叩いていた私は、「そうだそうだ、私は映画が死ぬほど好きだったよなあ……」と感覚を取り戻していく。会社員になって以来、劇場にすらほとんど足を運ばなくなっていた。

そして2020年。取引先の企業へ向かう電車の中で、ふと思い立つ。
「なんで私まだ会社員やってんだ…?この時間もシナリオ書くべきじゃないのか…?」
自分でもコントロールできない衝動に駆られて、そのまま会社を退職した。

こうして私は当時住んでいた12万くらいのアパートから月3万の笑っちゃうくらいボロい爆安シェアハウスへ引っ越し、貯金を切り崩しながら、脚本家を目指すことになる。
※今は普通のアパートに戻りました。念のため(?)

無職になった私の生活はがらりと変わり、シナリオ漬けの日々が始まった。
朝起きたら机に向かい、シナリオを書く。
休憩もかねて1冊本を読んでから、1時間散歩する。
午後戻ってきたらまたシナリオを書いて、夜は夕食を取りながら映画を観て、それのハコ書きをして就寝する。
ただシナリオを書くためだけに機能する毎日。

当時は「毎月2本の長編(50枚以上)の新作シナリオを書く」という謎の課題を自分に課していて、書いた作品は手当たり次第に日程が近いコンクールに出し、そして応募したことも忘れてまた新しい作品を書き始めた。
並行して脚本家事務所や、DMを解放しているプロデューサーさんに連絡してみたりして、本打ちに参加して議事録をまとめたり、企画書を作る手伝いをしながら、少しずつ実際の現場も経験した。

今思い返すと、高い服も化粧品も、毎月行ってた美容院も、よく行っていた飲み会も、本当は興味がなかったんだなと気付く。
そういうのは自分の人生にあってもいいけど、別になくてもいい。

でも、生活は地味だけど毎日創作に触れて、それについて誰かと話して、書きたい時はすぐにパソコンを開いて書くことができる生活は、多分ないと自分は生きていけない。

あの博打みたいなシナリオ漬けの無茶苦茶な一年を経たことで、自分はそういう人間だったんだなと気付くことが出来た。

あの時信じた直感は、多分間違っていない。

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