明るく楽しい”失われた30年”、平成とはどんな時代だったのか?
平成という時代は一体どのような時代だったと言えるのであろうか?我々ロスジェネ世代が青春時代を過ごした平成という時代について今日は総括してみたいと思う。
平成時代とは1989~2019年のおよそ30年間続いた時代のことであり、”失われた30年”と呼ばれることも多い。何が失われたのか?それは”経済大国ニッポン”だ。
平成の30年からを1990~2000, 2000~2010, 2010~2020年の前期、中期、後期の3つの期間に分けてみていこう。
平成の前期に起きた最も大きな事件が日本のバブル崩壊である。我々ロスジェネ氷河期世代が産み出された原因となった事件であり、これをきっかけに長い長い日本衰退の30年が幕を開けることとなった。
バブル崩壊が経済に与えた影響はすさまじく、就職氷河期はなんと平成前半の10年間を完全に塗りつぶしてしまった。1993年から始まった就職氷河期が終り有効求人倍率が1.00を超えたのは何と2006年であった。この長すぎる就職難が仕事にあぶれた大量のロストジェネレーション世代を生み出してしまったのである。あの頃は本当に酷いありさまだった。
就職氷河期が終わりほっと一息ついたのもつかの間、次に待ち受けていたのは記憶にも新しい2008年に起きた”リーマンショック”である。せっかく訪れた束の間の好景気もまたすぐに奈落の底へ突き落されてしまった。このリーマンショックによる就職難も凄まじく、この被害に合ったのがゆとり世代であった。また2008年はロスジェネ世代の多くが30代であり、人口を再生産するラストチャンスでもあったがその機会は永遠に失われてしまった。
このリーマンショック不況による不景気、就職難が回復したのは2014年であった。つまり平成の30年はバブル崩壊とリーマンショックという2つの大不況によって沈没した時代となってしまったのである。
しかし抜けないトンネルはないし終わらない嵐の夜はない。
2つの大不況を乗り越え、ついに平成の後期である2014年から2019年までに好景気の時代が訪れることとなった。アベノミクスによる株高や空前の就職売り手市場が訪れ、多くの若者たちが無事正社員の仕事を持ち社会人の第一歩を踏み出していった。
しかし平成の終わりにようやく訪れたかに見えた明るい兆しの裏で、経済不況よりもさらに深刻な問題が日本を蝕んでいた。それが今まさに我々を苦しめている”少子高齢化問題”であった。
日本は平成中期の終わりごろから人口の自然減時代に突入、戦後膨れ上がり続けてきた日本の人口グラフが頂上を越えたジェットコースターのように加速して滑り落ちる時代が訪れたのだ。
見えないところで進行していたのは少子化だけれはなかった。少子化と最恐タッグ組む存在、そう高齢化だ。平成時代の失われた30年の間に減り続けた出生数の裏で高齢者人口の割合は急上昇していった。平成の30年間で65歳以上の高齢者が人口に占める割合は15%から35%となんと倍以上に膨れ上がっている。
大不況による経済的失墜と、人口動態の変化による急激な少子高齢化……まさに平成は経済大国ニッポンにおっては”失われた30年”というに相応しい衰退の時代と言えるのだ。
しかし、そんな衰退の30年間である平成時代を生きてきたロスジェネ世代である筆者が抱く平成へのイメージは、上記のような数字から見る平成の実情とは大きくかけ離れたものであった。
平成は楽しかった。
そう、”平成時代は楽しかった”のだ。バブル崩壊にリーマンショック、怒涛の少子高齢化の時代であったにもかかわらず、平成は多くの人々にとって明るく希望に満ちていたのである。みんなが衰退していることに気が付いていながらも、である。
テレビでは島田紳助がこれからは経済成長より心の成長の時代!と力説し、森永教授が年収300万円でも楽しく生きる方法について本を出版していた。衰退してもいいじゃん、と言わんばかりのどこかお気楽な空気感が平成にはあった。
平成時代を実際に生きてきた筆者が、平成という時代の現実と体感の大きなギャップの原因についてアレコレ考えを巡られせてみた結果、大きな3つの要因に辿り着くことが出来た。
なぜ平成は穏やかで楽しい衰退の時代となれたのか?そしてなぜその時代は終わり、厳しくて辛い令和が始まってしまったのか?
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