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《概念の分解》30代童貞は悪い事なのか②一応完結

前回は、30代童貞が世間からどう見られているのか、社会という群れの中で《童貞》という事実が、どのように作用するのかを考えてみました。

詳しくは前回の投稿を読んで頂ければと思いますが、簡単にまとめますと、

《30代童貞》は、人格的に疑問を持たれる恐れがあり、【誰にでも出来る事が出来ない人】=【変わった人】=【自分達とは違う人】と捉えられる可能性がある。

このマジョリティ側の【自分達とは違う人】という認識は、差別の入り口になる可能性が高いものの、《童貞》自体の解決は難しくない為、差別に発展する事は稀である。
ただし、いつの時代も【自分達とは違う人】をコミュニティから排除しようとする本能的な働きはあるので、意識的に考える必要はある。

これを踏まえ、ではそもそも何故《童貞》なのか?を最終章とし、このテーマを終わらすつもりだったのですが、新たな疑問《コミュニケーション能力とはなんなのか?》を触りたい欲求に駆られましたので、2回に分けた次第です。

それでは、前回からの続きを進めていこうと思います。

コミュニケーション能力とはなんなのか

前回は、30代になっても童貞である理由が、【コミュニケーション能力の低さ》にあるのではないかという疑問から、そもそも《コミュニケーション能力》とは、なんなのか?を次回考えてみようという形で終わりました。

早速、《コミュニケーション能力》が一体どの様な能力であるのかを、分解してみましょう。

私の大好きな、広辞苑先生の見解によると、

①社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。
「マス‐―」「会社内の―が悪い」

②〔生〕
㋐動物個体間での、身振りや音声・匂いなどによる情報の伝達。

㋑細胞間の物質の伝達または移動。
細胞間コミュニケーション。

と、あります。

①は人間 ②は動物と細胞の話ですが、どちらも【何かを】【伝達する】するという意味の様です。

大雑把に言えば、【相手に何かを伝える能力】と言えそうですね。
【何か】は、仕事のやり方であったり、授業であったり、愛の告白であったりと、多岐に渡ると思いますが、人間同士のコミュニケーション能力の定義は、上記の【相手に何かを伝える能力】で差し支えなさそうです。

次に、【相手に何かを伝える】為に必要な【要素】を考えてみます。

例えとして、
【今週、事業部で食事会を行う。その段取りを部下に頼む。】
という、設定にします。

この場合、上司側が部下に伝えたい事は、幾つかあると思いますので、まずはそれを抜き出します。

①日時設定
②参加人数の確認
③店の選定
・ジャンル・会社からの距離・最寄り駅からの距離・雰囲気・飲み放題の方がよいかどうか・メニュー・時間制かどうか・喫煙場所はあるかどうか・テーブルなのか座敷なのか等々
④料金は会社持ちなのか、個人持ちなのか

上司視点では上記全てを踏まえて、【今週事業部で食事会するから、段取りしておいて】と、部下に頼みます。
この場合、部下が上記の項目を説明されなくとも把握しているのであれば、問題は起きません。

しかし、部下が把握しておらず、例えば③のいずれかを考慮せず海鮮居酒屋を予約し、参加メンバーの誰かが魚嫌いであれば、その部下の評価は下がるかもしれません。
逆に全ての項目をクリアしていれば、部下の株は上がるでしょう。

補足ですが、会社の食事会段取りを部下に頼む事で、その部下がどういった動きをするのか観察したいという、上司特有の欲求は考慮せずに考えています。

身内である事業部内の食事会であれば、何か抜けていたとしても、さほど大きなトラブルには発展しないと思いますが、これが接待や取引先との会食ともなると、完璧にこなす必要があります。

文字にして初めて意識しましたが、たかだか食事会の段取りをするだけで、ここまで様々な要素を組み込んで考えているのですね。
脳って、すごい。

さて、上司側のコミュニケーション能力を見る場合は、①〜④の項目を部下に伝えられているかどうかになり、部下側のコミュニケーション能力を見る場合は、自分で判断出来ない事は上司に伝え、最終報告が出来るかどうかになるでしょうか。

受け取る側の部下にも【出来るかどうか】【疑問点があるかどうか】【結果はどうなったか】を上司に【伝える】必要がありますので、上司部下共にコミュニケーション能力が問われる様です。

当然、同じ会社内の話であれば、日頃のコミュニケーション 上司と部下の親密度 過去に似た様な経験をしているかどうかによって、結果は変わってくると思いますので、そういった部分は省いて考えます。

この話のゴールは、【食事会の日時 人数 店を決める】です。
社内において、生産性のある仕事ではありませんので、スムーズに素早く決めてしまいたい。
その為に必要な事は、①〜④の項目の共有です。

最初から、上司部下双方とも①〜④を把握していれば、最短で話はまとまる筈です。
(上司が最終チェックを行う前提です。)

ところが、往々にして【何かが抜ける】ものです。
魚が嫌いなメンバーが居るのにも関わらず、海鮮居酒屋を予約するなどが、起こり得ます。

それらが何故起こるのかと言えば、情報共有が出来ていないからです。
上司 部下どちらかが持っている情報を、【伝えていない】からだと思われます。
こういった問題が起こった際、上司部下どちらも知らなかった場合は、【これを機会に情報共有】で話は済みます。

ところが、上司部下どちらかが知っていた場合は、【コミュニケーション不足】と言われかねません。
【何かを】【伝える】事が不足していた訳ですから、【コミュニケーション】が【足りていない】と判断されます。

しかし、【事業部の誰かが魚嫌い】という情報を【伝える】事がイコール【コミュニケーション能力】かと言われると、弱冠疑問を感じます。
【情報】を【伝える】事はコミュニケーション能力のメインだとは思いますが、なんとなく無機質に感じます。

ただ【情報】を【共有】するのではなく、【事業部内の誰かが魚が嫌い】であるという事実を、【重要視】する事が必要なのかもしれません。

言語化すると【せっかくの事業部食事会なのだから、皆に楽しんでほしい。皆が食べられる物が良いから、聞いてみよう。それを考慮して店選びをしよう】
に、なるでしょうか。

つまり、【相手の気持ちを思いやる】もしくは【相手の気持ちを考える】です。
ホスピタリティに近いニュアンスです。

そうやって物事を捉えて行動すれば、食事会の段取りを頼む際、上司であれば『Bさんが魚ダメだから、それ以外で決めてね』と部下に【伝える】でしょうし、部下であれば『事業部メンバーの好き嫌いを、ご存じありませんか。』と、上司に【伝える】でしょう。

カジュアルな職場であれば、『はーい!皆さん注目でーす!今週食事会やりますので、嫌いな食べ物教えてくださーい!避けますので!』と、手っ取り早く【伝える】コミュニケーションお化けも居るかもしれません。

どうやら、人間の《コミュニケーション能力》とは、【相手に何かを伝える能力】ではなく【相手の気持ちを考えながら、何かを伝える能力】の様です。

長々と寄り道してしまいましたが、本題に戻します。
《何故、童貞なのか》


童貞とコミュニケーション能力の関係

前章の通り、《コミュニケーション能力》とは、【相手の気持ちを考えながら】【何かを】【伝える能力】と、定義します。

この【相手の気持ちを考える】が、非常に厄介です。

なぜなら、【見えない】。

【見えない】ものを、どうすれば良いのか。
そうです。
【想像】するしかない。

ただ、【想像】するにもベースが必要です。
何も無い場所からは、【想像】は出来ません。

ですので、古き人達は言うのでしょう。
『相手を自分に置き換えて、考えなさい』と。

つまり、ベースは【自分】となるのです。
【自分であれば、どう捉えるか。どう思うか。】

唐突ですが、私はチョコレートが苦手です。
大嫌いという程ではありませんが、自分で買ってまで食べたりはしません。

ところが、それを他人に話すと、
『えー‼️なんで⁉️美味しいじゃん‼️』と、リアクションされる事が多いのです。
人の好き嫌いに方程式はなく、好きなら好き嫌いなら嫌い、ただの個人差なのですが、【自分が好きなもの】に加え【多くの人が好きなもの】は、【みんな好き】と錯覚しがちです。

中にはご丁寧にも、【本当に美味しいチョコを食べた事がないからだよ‼️】とアドバイスをしてくださる方もいらっしゃるのですが、苦手なものは苦手なのです。

これが、野菜類やウニ等の【好き嫌いがある】と認識されているものであれば、上記の様な事態にはならないのですが、これにも何やら【概念】が隠されていそうです。

とにかく、人間というのは基本的に身勝手な生き物です。
気を抜くと、【自分の感覚】イコール【普通】と勘違いしてしまいますので、他者との認識の違いがトラブルに発展する事は、珍しくありません。
珍しくないどころか、茶飯事です。

その中で、【自分の感覚】と【他人の感覚】をしっかりと認識し、その上で【相手の気持ちを考える】ものが、【恋愛】です。

恋愛ほど、相手の気持ちを想像する事に必死になる事柄を、私は知りません。
仕事や友人関係、コミュニティの中で、他人を理解しようとする事はありますが、恋愛の様な熱量を持った事はありません。

【何が好きなのだろう】【何が嫌いなのだろう】【どんな男がタイプなのだろう】【趣味は?】【誕生日は?】【血液型は?】と、あげればキリがありませんが、他人に興味を持つ最大値は【恋愛】だと思います。

そして、当然の事ながら、失敗ばかりを繰り返します。
若く経験が浅い時期ほど【相手の気持ちを考える】事に慣れておらず、相手の【見えない】部分を、【自分の感覚】で補完せざるを得ないからです。

花束を贈る、その自分勝手なナルシズムは、それが遊園地に行く途中ならば、荷物になるだけで、相手の気持ちを考えての行動ではないという話です。

ただ、そういった失敗の繰り返しや、相手が本当に喜んでくれた時の感動が、【相手の気持ち】を想像する精度を高めてくれる経験となり、それはいつしか恋愛以外の場所でも、自分自身を助けてくれるスキルとなります。

職人や芸術分野以外の仕事は、ほとんどの場合他人と共に動きますので、相手の気持ちを想像出来る精度が高ければ高いほど、様々なシーンで強力な武器になります。

《何故童貞なのか》の答えは、この辺りにある様な気がします。

相手の気持ちが分からないのか、それとも分かろうとする努力を怠ったのかは個人によるとは思いますが、恋愛においても他の対人関係においても、【相手の気持ちを考える】事は、人に好かれる要因の一つであり、【好かれる】とは【信用される】と同義だと思いますので、相手に対して【信用】が無ければ成立しないセックスにおいては、直接的な因果がありそうです。

自身のコンプレックスや、今一歩が出ないなど、個人の問題が理由になる場合もあると思いますが、心身ともに健康なのであれば、自分で解決するしかありません。

個人によってのグラデーションが大きいテーマでしたので、はっきりと答えは出せませんでしたし、そもそも答えは一つではない様です。

少し不完全燃焼ですが、《何故童貞なのか》の暫定的な答えは、相手に対して【信用】が必須であるセックスにおいて、【信用】を得る為には【相手の気持ちを考えて】行動しなければならない。

ただ、相手の気持ちは【見えない】ので、会話を参考に【想像】するしかないが、【自分の感覚】で【見えない】部分を補完すると、相手の気持ちとはズレてしまう。

その為、【信用】が得られず、セックスに至らない。

《何故童貞なのか》は、一応の終わりとさせていただきます。
新しく考えが生まれましたら、追加投稿するかもしれません。

結局、悪い事かどうかの結論も出ず。
悪い事ではないんだけれど、恋をする事で得られるはずの経験が無いのは、勿体無いとは思います。

最後に、この投稿途中で生まれたのですが、構成の為切り取った文がありますので、それを最終章にして、このテーマを終わりたいと思います。

頑張れ、独身男性(私もね。)

元々、社会に溶け込んでいる、道徳 倫理 常識 普通といったもの達は、自然界に存在する訳ではありません。

時代ごとに、その国もしくは世界が仕組み作りとして必要な概念を、【教育】によって個人に落とし込んでいったものですから、【個人がどう捉えるか】は、考慮されてはいません。

つまり人間とは、社会というコミュニティで生きていく為の価値判断と、あくまで自分自身だけの価値判断の2つを内包しており、その2つが相反するケースが、上記のチョコレートの話の様に存在します。

社会全体で見れば、チョコレートは【好きなもの】ですが、私個人で見れば【好きではないもの】に、なる訳です。

ですから、社会の【普通】が個人の【普通】とは限らず、また個人の【普通】が社会の【普通】とは限らないという話です。

その中で、お互いに落とし所を見つけ、トラブルに発展しない様に対応しながら営むのが、社会生活であり、国という大きなコミュニティの存在意義です。
当然、社会では社会というコミュニティで生きていく為の価値判断が優先されます。
個人の価値判断は、社会コミュニティの存続の為後回しにされますし、またそうでなければ駆動しないシステムも多いのです。

ところが、社会コミュニティの価値観よりも、個人の価値観が優先される事柄が存在します。
【恋愛】です。

恋愛においても、社会コミュニティの価値観は強力に影響します。
外見 年収 家柄 職業などなど、個人の価値観よりも社会コミュニティの価値観を優先させる場合もあるでしょう。

しかしながら、昭和の様な【無愛想で見た目も良くはないけれど、大手勤めなんだから将来安泰の優良物件】という概念も薄くなり、職業だけで個人の能力の低さをカバー出来るかと言えば、難しい時代です。

特に現代は、女性の社会進出を進めている訳ですから、経済的に自立した女性は増えていきます。
昭和の【離婚したいけれど、女一人で食べてはいけないし、我慢するしかない】という状態は、改善されていきます。

一人でも生きていく事が可能になった女性が、男性に求めるものは、昭和の時代とは明らかに異なり始めています。

そして彼女達は、恋愛において社会コミュニティの価値判断よりも、自分自身の価値判断を優先していくでしょう。

優しさだけでは生きてはいけないですが、お金を稼ぐ力だけでも生きてはいけません。
別れを選んだ人も居ますが、再び僕らは出会うでしょうか。
ああ、トゥモローなネバーノーズ。

という事で、どうにも我々日本人男性は、進化しなければならない局面を迎えている様です。

いまだに、貞淑で従順な女性像を抱えている男性は居ないとは思いますが、(居るだろうなあ)。
新しい価値観に変化し続ける最中、お互いに素敵な男性になりましょう。

そして、私は二度目の結婚を目指します。
やっぱり、一人はいけません。

さて、最後までお読みくださった方々、ありがとうございます😊
次回のテーマは決まっておりませんが、来週火曜日投稿を狙って、書いてみます。

ヴィーガンか、食料廃棄を触ってみようかな。
リクエストがあれば、是非。

それでは、また。
おやすみなさい。

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