インド人夫との馴れ初め①

前回からの続きになります。ふと思ったのですが、この馴れ初めは相当長くなりそうです。気長にお付き合い下さい。

私は2016年の11月に全財産30万円のみで、オーストラリアブリスベンに入国した。今思えばよくそんな金額でと思うが、当時は30万円もあればどうにかなると思っていた。

最初のホームステイ先や語学学校の費用などは全て支払いを終えていたので良かったが、その先にかかる家賃や食費は全てこれから支払っていかなければいけない。

一ヶ月のホームステイを終え、シェアハウスも見つかり新たな場所で生活をスタートさせたのが12月始め。毎週必ず支払う家賃や食費で消えて行くお金を見て、焦り始めたのは言うまでもない。ブリスベンは大都市シドニーに比べればまだ家賃は安いものの、それでも北海道出身の私からしてみればとんでもなく高い。色々な国の友達もできて一番楽しい時に、お金のことを気にして思い切り遊ぶこともできない。

いよいよ一刻も早く仕事を見つけないと行けないと思い、履歴書を作り仕事探しを始めることにした。オーストラリアでは、WEB上で仕事を探してメールを送ったりすることもできるが、お店に直接行って飛び込みで履歴書を渡す方法も主流だった。

語学力なんて全然ないくせにローカルのお店で働きたいと思っていた私は、後者の方法で仕事を探すことにした。幸いにも飛び込み営業は私の得意分野なので、何の躊躇いもなく家の近くにあるレストラン街を、ひどい英語を喋りながら片っ端から攻めて行った。ちょうどクリスマス直前のことだった。

何十枚と履歴書を配り歩いた日の夜、メキシカンレストランから電話がかかってきた。トライアルに来ない?と。二つ返事で快諾し、その日のうちにトライアルを受けた。どんな仕事内容なのかも聞かず、言われたままレストランへ行くと、任されたのは皿洗いの仕事だった。

大きなレストランでとにかく忙しいお店だったので、皿洗いだけする従業員が必ずいた。無我夢中で皿洗いをしたのを覚えている。洗っても洗ってもやってくる食器の山。ネパール人の皿洗い担当の男性が私に仕事を教えてくれた。二人がかりで皿洗いをしているのに、一向に減らない。トライアルで呼ばれて行ったのに、仕事を終えたのは深夜12時近かった。約6時間ぶっ通しで働いたことになる。もちろん、その日のうちに仕事をもらうことができた。

それからと言うのも、皿洗いと言えどもローカルで働ける喜びと、とにかくお金が必要だったので、学校に行きながら無我夢中で働いていた。でもふと我に返った時に、何故私はオーストラリアに来てまでも、こんなに辛い思いをして働いているんだろうと思うことがあった。皿洗いの仕事はとにかく辛かった。想像以上の肉体労働で、仕事終わりはクタクタになっている。広告代理店時代は、精神的に辛いことが多々あったが、皿洗いは肉体的にあまりにも辛過ぎた。男になりたいとあんなに切に願ったことは、後にも先にもあの時だけだ。それでも仕事を辞めずに続けたのは、負けず嫌いな性格とこんなことで簡単に仕事なんか辞めたくないという謎のプライドがあったからだと思う。その私の性格も相まって、後の夫となる人物に私はこのメキシカンレストランで出会うことになる。

肝心なことを言い忘れていたが、当時私には日本に彼氏がいた。オーストラリアに行くことを知りながらも、それでも待ってるから良いよと言って付き合うことになった一回り年上の素敵な男性だった。半年程の交際の後、遠距離となったが、距離が離れていようとも適度に連絡を取り良好な関係を築いていた。何より、私は彼のことが本当に大好きだった。喧嘩をすることすらなく、あまりにも居心地の良い関係だったので、日本に帰国して暫くすれば彼と結婚するだろうなと思っていたほどだ。友達やレストランの同僚にも、彼氏がいることは公言していた。

それなのに、人というのは本当にわからない。まさかこんなに好きな彼氏がいるのに、それ以上誰かを好きになることがあるなんて想像すらしていなかった。ましてや、外国人との恋愛なんて考えることもできなかった。そもそも英語力がないので、基本的なことは喋れるものの、自分の深い気持ちまでを相手に伝えることはできない。私は見た目ではなく中身で人を好きになるタイプなので、深い話ができない以上、本気で外国人のことを好きになることはないと思っていた。でも彼に出会って、私の中の全ての常識や考えが変わっていくとになる。

次回よりいよいよ夫が登場します。前置きが長くなってしまいましたね。ここまで読んで頂きありがとうございます。

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