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建築を個人の手柄にせず、いかに個人の目線で語れるか

共同設計の建築が、1人の建築家名で紹介された一件が、SNSで話題となって数日経つ。建築家の浅子佳英さんの発言を起点に、メディアの雑さを責める人や過去に似たようなことがあったと証言する人で共感百景だ。

自分の立場は"雑なメディア側"にあてはまる。いろいろ発言を読んでも、まず自戒を込めてしまう。スネに傷はあるので「あの見出しガー」「文字数ガー」「編集方針ガー」と、反省と言い訳をいったり来たり。でも勇気はないので基本は無言。でも書きたいことはちょっとあるか……。ということで100年ぶりにnoteのエディタを開いた。

個人の仕事として語りたいメディアと、組織的につくられる建築の齟齬

なぜメディアでは「建築を個人の手柄に帰す」力学が発生するのか。書き手としてはこう思う。誰が何をしたのかハッキリさせたい。いわゆる5W1Hを明示したい。でないと読者に「自分もやってみたい、行ってみたい」という感情を起こせない。

特に「お役立ち」系の記事では「課題ー解決策ー効果」でまとめるのがセオリー。誰が何に困り、誰が何をどうやって解決し、どういう効果が得られたかという順で書く。「空き家所有者のAさんは過去、借主に家賃の延滞や勝手な改装がなされたので、再び賃貸に出すことに抵抗があった。そこで建築士のBさんは〜」というように。5W1Hの明確化は、わかりやすい記事の第一歩だ。

また建築のような無機物は、エピソードなしでは魅力が伝わりにくい。たとえば筆者は建築史家の藤森照信さんや石田潤一郎さんによる本を愛読している。それこそ建築を学びはじめて1〜2年の頃からだ。予備知識が少なくても無理なく読めた理由には、群像劇のように建築史が書かれていたことがある。建築を個人に紐付けながら、建物が生まれたプロセスや背後の思惑を掘り下げてくれるので入りやすい。建築史をエピソードに分解してくれているので、エンタメとしても楽しめる。石田さんが監修をつとめる展覧会「モダン建築の京都」(京都市京セラ美術館、〜2021年12月26日)は、建築の専門家じゃない友達にもおすすめしやすい。理由の1つは、建物オーナーがつくったアルバムや貴賓客が訪れた際の映像などから伝わる、サブエピソードの豊かさにあると思う。

一方ほとんどの建築は、組織的につくられる。100㎡の改修でも、建築士、工務、各種の工事にあたる人、メーカーの担当者と数え上げるとすぐに2桁いく。施主サイドだけでもややこしい。たとえばホテル事業だと概ね所有者、経営者、運営者の3つに分かれるらしい。昔「迂闊にホテルブランドの運営指針ばかりに目を向けず、事業主体3者に目配りすべし」的な記事を専門誌で執筆した。この手の話はたくさんある。建築界、知る人ぞ知る事情ばかりと思う。

「知る人ぞ知る」状態は、誤解を発生させやすい。組織設計事務所とか大きめの会社ほど、主語(個人名)を隠しがちだ。事情を聞くと「チームでやってて代表者を立てると不満を感じる人が出るから」と返ってきたりする。でもその気遣いは「不透明」で「わかりにくい」組織像につながりかねない。そうこうしてるうちに個人プレーが許される人や組織にスポットが当たりつづける。地味にがんばっている人が損をしそうな構図である。

筆者はこうした状況に、強いジレンマを感じつづけている。ゆえに浅子さんの憤りは重く受け止めているし、建築を誰かの手柄と短絡する動きには注意を払いつづけたい。また書き手として状況を変えたい気持ちもある。では具体的に何ができるだろう。

個人レベルから、組織的プロジェクトの説明は可能か

建築は組織でつくることからは逃れがたい。でもどんなビッグプロジェクトでも、個人の仕事の集積である。なら個人レベルまで分解して、プロジェクトを説明すればよいのではないか。メディアに雑にまとめられる前に、チーム編成と個々の立ち位置や仕事を、はっきり表明する。

なんならメディアがまずそこを整理するのが親切だ。「日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで」(講談社選書メチエ)でまさしく建築生産が組織化されていった現代史に踏み込んだ日埜直彦さんは『建築雑誌』2013年5月号の五十嵐太郎さんとの対談「『言説化』の環境に今何が起きているのか」で、雑誌が読まれなくなり、言説の場が分散化した背景をこう述べていた。「皆が共有していた問題が空虚に感じられ、おのおのが自分の問題を組み立てていかなければいけないという状態になった」

読者が「おのおのが自分の問題を組み立てざるを得ない状況になっている」としたら、メディアの怠慢な気もする。建築をチーム、プロジェクトの枠組みから紹介することは増えてるけど、主流ではない。実際は健全で良好なチームなら、チーム編成をオープンに紹介可能だ。プライバシーなどの理由で表に出られない人は、匿名でもいい。

「空中庭園=連結超高層建築1993」(彰国社)という本がある。「梅田スカイビル」を核とする新梅田シティがどうできたのかを記録する本だ。この本がすごいのは、世界初の連結超高層に挑戦するという巨大プロジェクトを、個人レベルに噛み砕いて説明しているところだ。記名原稿で、たとえば事業主(積水ハウス、青木建設、東芝、ダイハツディーゼルの4社)間での会議体の構成や事業比率、なぜホテル事業を行う青木建設が連結超高層とは別のビルを建てたかなど、普通なら内部にとどまりそうな協議経緯が詳らかにされている。連結超高層の設計チームと、環境計画を担当した吉村元男氏でせめぎ合いがあったことも記録されている。執筆者も座談会出席者も、事業主、設計チーム各者、施工JV複数者など幅広い。これを読めば、どんな思いで、いかに工夫を凝らし、この施設ができたのかがよくわかる。結局あとで役立つのは、こういう当事者の声だと思う。

もちろんこんな本、つくるとなると大変だ。利害関係の異なる人たちを一緒くたに出すとなると調整の手間がすごい。不要不急、主要業務を差し置いて座談会してる場合なのかと怒号が今にも聞こえてきそうだ。

でも新国立競技場にまつわる一連のもめごとみたいに、誰が何をしたのかわからないと人はあやしむ。仕事は細分化すれば、結局は個人に帰結する。いつ誰が何をなぜどうしたか、なるべく多くの目線で語ることで深まる理解はあるはずだ。

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