理想が現実化すると…

多くの人は「こういう人になりたいなぁ」とか「こういう生き方をしたいなぁ」とか今の自分ではない理想の自分を求めていると思います。

もちろん僕もそういう思いはあります。ただ、理想が現実化すると興醒めするという経験を今まで多くしてきたため、理想を″過度に″追うことはしないというスタンスです。

以前、ヨーロッパを長期間旅しました。この経験は今の自分に多大なる影響を及ぼしており、とても充実した時間でした。その中で学んだことの一つに、「理想の現実化はあまりにも儚い」という教訓があります。

僕の旅はヨーロッパで行きたい街に片っ端から行くものでした。そのため、毎度次の街に行くまでの飛行機、あるいは列車の中はウキウキ気分なわけです。

しかし、いざ目的地に到着すると思い描いていた空想が粉々になり、一気に興醒めしてしまうのです。古代への憧れからローマに行けばそこはローマでしかないし、煌びやかな音楽の街というイメージだったウィーンもウィーンでしかないし、それ以上でも以下でもなく、ただただ現実が現前しているだけなのです。

16世紀の詩人、ジョアシャン・デュ・ペレーも同じようなことを言っています。詩をそのまま引用できなかったので、wikipediaからこれに関連した内容を引用しておきます。

ジョアシャンはローマに憧れを持っていたので、この4年間は情熱的に始まった。しかし、古代の神話的な都は、もはや廃墟、放蕩、豪奢の町でしかないことを見いだすこととなった。嫌悪と後悔の念が、より美しい時代に触発されていた彼を捉えた。夢の中で讃えていたローマが彼を裏切ったのである。 (Wikipedia)

人生も同じだと思います。人生は理想の自分を追い求める一本道ですが、理想に辿り着いた途端に「あ、こういうものか…」と現実を突きつけられるものだと思います。受験生の頃に憧れていた学校も、入学してしまえばそこには現実が現前するだけです。

じゃあ人生を生きる意味なんてないじゃん!という反論があるでしょう。そんなことは決してありません。いや、寧ろあり過ぎる、とでも答えておきましょう。

いくら理想が現実化しても旅は楽しいものです。なぜなら、現実を直視した上でその土地その土地を噛み締めるように味わうことはできるからです。僕が言いたいのは、過度に理想を祭り上げないために理想の現実化がいかに儚いことかを認識することは極めて大事じゃないか?ということです。

理想は虚構です。時に人を狂わせてしまうほどの虚構です。ただ虚構だからこそ、人々を魅了し、絶えず人は追い求めてしまうのかも知れません。『ワンピース』が人気なのも、ワンピースという秘宝を求めるルフィの物語(虚構)に共感している人がたくさんいるからです。現実と理想を生きる矛盾こそ、人間らしさでもあると思います。

今日はこんなところで✋

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