無限を生きることの不可能性

昨日投稿した、無限性についてちょっと追記。

昨日は、「もし人間にとって無限の経験が可能ならば、一人一人の差異は消滅し、同一に収束する」という話をした。

ちょっと考えれば分かったことなのだが、これではそもそも無限の経験が可能なのか?という問題は解決できていない。無限の経験をしている間にも、無限の活動は行われていて、事象は無限に変化する。

昨日に引き続き、世界中の砂一粒一粒に無限回触れるという経験を例に挙げてみる。Aという砂に触れている間にも付近にあるBという砂は風に吹かれたり、踏まれたりする中で変化しているため、Bに触れるときはすでにB′になっている。

そのため、無限の経験は瞬間瞬間に世界で起きていることを全て掌握していることでしか可能にならず、人間という肉体に縛られているものを想定している限りは不可能だということになる。

うーん、人間の無限性を考えるときには、肉体に縛られない人間という形を前提としなくてはならないのか。

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