『古今和歌集』を嗜んでみる

最近、『古今和歌集』を毎日数首ずつ声に出して読んでいる。時間がないという言い訳で先延ばしにしていたこの取り組みもようやく生活に定着してきた。

この歌集は歌の寄せ集めにもかかわらず、巧みな順番で構成されており、一つのストーリーになっている。紀貫之おそるべし。

今は晩冬から立春に至る過程を読んでいる。そこで歌人らは鶯、花、風、雪など様々な手段を用いて春の到来を待ち焦がれていることを表現する。

立春を待ち望む感覚は現代人にはあれど、当時の人々ほどではないだろう。なぜなら、我々は暖房やカイロなど暖をとる手段を多数持っているからだ。

冬の京都に行くとその厳しい寒さに驚かされるが、当時の人々が感じる寒さはそれをはるかに勝ることは明らかだ。それを考えれば、死の世界である冬を乗り越え、生命が芽吹く春を待望する気持ちは痛いほどわかる。

というか、そう思わない限り、古今集の言わんとしていることは理解できないだろう。作品を現代的に解釈することは大事な一方で、自分の身を過去に浸すこともまた同時に必要不可欠ことだと思う。

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