『オペラ座の怪人』感想
昨日は劇団四季の『オペラ座の怪人』を鑑賞。原作を読んだ上で観たので、小説と劇の違いやそれぞれの良さに気づくことができた。例えば、小説は緻密な描写で主人公の感情を表現したり、不可解な事態のカラクリの詳細を明かしたりするが、一方で劇はバレエや歌、演出に主眼を置く。特に、オペラ座の不気味さの描写は圧倒的に小説に軍配が上がる。そんなの当たり前と言われればそれまでなんだけども、その歴然たる差を改めて認識させられた。
そんな『オペラ座の怪人』についての感想をひとつだけ書き留めておく。(少しネタバレ)
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『オペラ座の怪人』の「怪人」は人間社会から疎外されており、彼は何度も人間に悪事を働く。しかし彼の悪事の淵源は、彼自身の悪ではなく、人間社会にある。そもそも彼がオペラ座の地下に住み始めたのは、自身の醜い姿が人間社会に認められなかったためであり、孤独を強いられた上、人を愛することも叶わなかった。そんな中現れたクリスティーヌ・ダーエに彼は恋い焦がれ、自分のテリトリーに連れ去ってしまう。
たしかに人を連れ去ることは側から見れば悪事であるが、彼の内面に潜む悲哀に思いを馳せれば、仕方ないとも思えてしまう。
これはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に登場する「怪物」の境遇と非常に似ている。「怪物」は人間によって作られるが、その姿は醜く、好意を持った人に近づいた途端、逃げられてしまう。つまり、彼は人間社会から隔絶される。そのため彼は創造主に恨みを持ち、その周囲の人々を次々に殺していく。
これはフィクションの話に止まらない。
この現実世界にも、疎外された人間は多く存在する。そういう人たちが「怪人」や「怪物」のような存在にならない社会を構築していく役割が政治だと思う。
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