京都での愉快な思い出

先週から紅葉狩りとオペレッタ鑑賞のために京都にきている。京都は昨年5月から定期的に訪れているが、毎度新たな発見があり本当に楽しい。京都特有の、真冬の突き刺すような寒さを予感させる気候ではあるが、11月中旬現在は比較的過ごしやすい。
さて、まだ旅の最中ではあるが、今回はその中でも特に印象に残っていることを綴っていきたい。

京都市内にある有名な作庭家の旧居があるのだが、観光用に一般公開されており、その作庭家のお孫さんの解説付きで庭を眺めることができる。そこは予約制で観光客は10名程度いたが、一人のおじ様がその方に一つ質問をした。すると、回答とともに湧水の如く関連する情報も教えてくれた。おじ様は立て続けに質問し、場が質問してもいい空気になると、他の参加者の方々も質問し始めた。

例えば、京都の気候から地質の話へ、地質から水の話へ、水からお酒の話へ、お酒から企業の利権の話へと、とにかく縦横無尽に話が展開する。私はこういう人に憧れてしまう。

この方と是非とももっと話してみたいと思い、解説ツアー終了後に挨拶をしてみた。すると早々に話が弾んでしまい、(粒度はバラバラながらも)日本美術の話を皮切りに詩、日本語、雪舟、藤原定家・俊成、芸術創作、唯物論の功罪の話など色々な話題で談笑した。そして音楽を聴くときに西洋人は左脳を、東洋人は右脳を使っているという俗説の話に展開した途端、お互いがクラシック音楽好きであることを確かめ合い、バッハの話題へ。私の中ではバッハは厳格な構成主義者という理解であったが、その方は特にアリアについて雪舟のように一筆書きでさらさらと書いているのではないかと仰っていて新鮮だった。その後バッハの名盤はさることながら、最近の名録音を教えていただいたり、数々の実演の思い出も語っていただいた(チョン・ミョンフンとバスティーユ管の呼吸の合い方、カラス以来のスカラ座での「トラヴィアータ」など、生々しく実演経験を語っていただいた)。

普段クラシック音楽について語り合える知人が周りにあまりいないので、この会話には本当に心が弾み、気がついたら陽も沈みかけていて、2時間ほど立ち話をしてしまっていた・・・。芸術に関わる人はクラシック音楽に通暁している可能性が高く、普段は交流できないこのような人たちと共通言語を用いて愉快に会話ができるというのは良いことだなと思う(一方で話をする中でその体験自体が乏しいことも露呈するが・・・)。いや、少々誇張するならこういう瞬間にこそ「生きていてよかった」とすら思ってしまう。

別れ際には謝意をお伝えし、またの再会を願った。

もしよろしければサポートお願いします〜 (書籍購入代に充当させていただきます。)