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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観た感想

京都アニメーション制作のアニメ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』全13話を視聴した。

簡単に物語を紹介すると、主人公のヴァイオレットは元軍人の女性で感情を持たず、ギルベルトという少佐(上官)の道具として忠実に慕っていた。そんな中、とある戦いでギルベルトは瀕死になり、ヴァイオレットに「愛してる」という言葉を残し、自分だけを戦火に残し彼女を生き長らえさせた。その後ヴァイオレットは「愛してる」の意味を理解するため、手紙の代筆の仕事をすることに・・・。

各回手紙の代筆依頼を受け、それを届けるというのは基本的なストーリーである。では、このアニメの何に惹かれて今感想を書いているのかというと、全13話を構成する一話一話が長編映画のように重いこと。いや、重すぎる。

各回たかだか20分ちょっとでありながら、鑑賞者の感情を激しく震わせてくる。時には喜び、時には怒り、時には悲哀、時には同情。鑑賞しながら色んな思いが渦を巻く。それらが涙という形になって零れ落ちる瞬間が作中に何度かある。

例えば、感情のないヴァイオレットがストーリーの進行に伴って徐々に感情というものを理解し涙を流すようになるのと同じように流す涙は悲哀であり、また喜びの象徴なんだろう。

またその重みは、言葉の持つ重みであるようにも思える。繰り返しになるが、ヴァイオレットの仕事は手紙を書くことである。手紙は現代のLINEとは違い、すぐに返事が来ないことを前提に一言一句吟味し、丁寧に思いを綴らなければならない。

これこそ言葉を乱雑に扱う現代に欠けた意識である。このnoteに象徴されるように、今や誰もが文章を書き、表現することができる。先に挙げたLINEにおいても、ちょっとした思いつきからメッセージを送ることができる。

つまり、言葉が極めて民主化したがゆえに、極めて重みを失った。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はそんな現代を生きる我々に警鐘を鳴らしているように感じられた。

何はともあれ、この重みは作品のプロットと描写力の賜物!

来月9/18の劇場版公開が心底楽しみだ。

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