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うちの子は人生何周目か

私には小学校低学年の娘がいる。ひとりっこだ。

性格は大人しくて温和。人に怒ったことはない。寝起きが良く、家のお手伝いも率先してやってくれる。自己主張せず、聞き役で、学校の担任曰く、「いつも人の話を穏やかな顔でうんうんと頷いて聞いている」らしい。宮沢賢治?

拒否する時は「大丈夫、気持ちだけもらうね」、どんな小さいことでも人に何かをしてもらったときに「ありがとう」を言うし、「いただきます」と「ごちそうさま」も言う。今年の夏休みは、私の美術館巡りに付き合ってくれている。

なんとかわいい。なんて愛おしい。ぐう聖人。

うちの子は文句や駄々をこねないし人に悪態をつかない。「かえりたいー」「あっちがよかったー」「こーれほーしーいー」「またこのご飯ー?いやなんだけどー」。これらは今まで他所の子に言われた言葉なんだけど、我が子は少なくとも小学校に上がってから言ったことがない。
ああ我が子が我が子で良かった。私は子供らしい子どもが嫌いなのだ。出産する前に1番悩んでいたのは子供嫌いな私が子供を愛せるかどうかだった。たまたま私と相性のいい、おとなしい子供が生まれたのは奇跡であった。

彼女の情緒安定の鍵は私が握っていると言っても過言ではない。とにかく私のことが好きだ。私がいくら否定しても、私の言うことは全て正しいと思っている。寝る時は私が隣にいないと不安で寝られない。なので私が夜飲みに行って子供が寝る時いないなんてことは許されないのだ。

一度私が1週間入院して不在だった時、子供は不安定になり、狂った。面倒を見てくれるために臨時召集した祖母に対して「え?誰?」ってくらい攻撃的な人格になった。過去に子供と離れたことがほぼなかったので、こんなにも彼女の中で私の占める割合が多いのかと驚いた。私が仮にこの世からいなくなったら、今後の彼女の人格形成に破滅的な影響を与えると確信した変貌ぶりだった。

絶対的心の拠り所にしてもらっていて親冥利に尽きると同時に、私は完全な人間ではない。めちゃくちゃ暗いし粘着質で失敗をいつまで引きずってお風呂場で不意に過去の失態がプレイバックして叫んでいるようなメンタルそうめん人間だ。後ろめたいことだってしたことがある。

子供を将来、社会に出しても恥ずかしい思いをしないように教育しているつもりが実は、理想の子供像を押し付けて無意識に子供をコントロールしていて、子供は私の顔色を伺っているのではないかと不安になる。

私もかつて親を盲信していた時があった。でも、小学校高学年で何かをきっかけに「あ、親って絶対正しいわけじゃないんだ」と思った。それでも、衣食住を握られている弱い立場なので従うしかなく、ここで生きるしかないと思った記憶がある。
賢い我が子が私のことをそう思う日も遠くないと思うが、衣食住握られてるから服従しようとは思わないで欲しい。常に一人の人間として対等に接したいと思う。どうしても大人の方が力が強く弁が立つので子供は勝てない。無理やり力で押さえつけると反抗心が育って思春期で爆発して「親、○ね」となることは自分で実証済みだ。この轍を踏ませないために、自分の泣いてるインナーチャイルド(自分の育てられた環境が時代のせいもあるが酷い) と辛いけど向き合い、私なりに頑張って人間を育てているつもりだ。

育児に正解はないが、子供をよく見て向き合って、本を読んで知識をつけて自分が与えられる限りの幸せを全部あげたい。
犯罪に遭わず、健康で、悲しい思いをせず、優しい子のままで育ってほしいと願うばかり。こんな慈愛に満ちた気持ちが起きるなんて、出産前は微塵も思わなかった。

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