見出し画像

「ここにいる」と発信すること

noteの毎日投稿をはじめて20日目になりました。
だいたい3日坊主でおわってきた人生ですが、はじめて自分でやり始めた習慣が続いています。

書くことで記録にもなりますし、奇跡的に見にきてくださる方がいる。そのおかげで続いていて、noteという巨大なプラットフォームに感謝する毎日です。

だれにも見られなくてもいいや、と投稿しはじめたnoteですが、やはりみていただけるのは素直にうれしい。

毎日書く、ということがこんなに大変だとは知りませんでした。

正直ここ5日ほどは書くことないなと思いながら書いています。無職生活は凪いだ海の真ん中を漂っているようなもので、たまに風が吹いたな、と思ってもすぐに忘れてしまう。刺激もなにもないので書くことが思い浮かばないのです。

ひとり暮らしの家でいきなり動き出すものといえばロボット掃除機くらい。自分で日にちを決めてこの時間に動くようにと設定しているのに、曜日感覚が吹き飛んだいまの私には急に動き出すロボット掃除機が心臓に悪い。素で「わぁ!」とか驚いていています。というか私は何回自分のnoteにロボット掃除機を出演させるつもりなんでしょうか。もう5回くらい出演いただいている。そのくらい、なにも起こらない。

エッセイを書くのははじめてで、最初は書きたいことがいろいろと溢れていました。社会とのつながりがぶつんと切れたような状態だったので、そういったものに飢えていたようにも思います。最初の5、6記事くらいまでは「明日はこれを書こう」と息巻いていた。が、それも数日経てば落ち着き、だんだんと忘れていく。

人は良くも悪くも慣れるのがはやいなとぼんやり思ったり、このままフェードアウトしてみるのもありだなとめんどうくさがりを発揮したり。相変わらず私は自分の面倒をみるのが苦手で、システムでどうにかまわしている状態です。

なーんもないな、自分と改めて気づいてしまうくらいには静かで。

いい加減、漕ぎはじめなければ進まない。

諦めのような覚悟が、ようやくついてきました。自分を生かさねばならない。流れにてきとうに身を任せてきたため腕力が少々不安ですが、筋肉痛になった後には立派な腕になると信じるしかなく。行き先不明なのはいつものこととして、自分で進む方向を決めるという思春期にやるべきであろう意思決定を今やろうとしています。

自分で選ぶ、と意識するだけで非力なこの腕でもがんばろうと思えるのだから不思議です。

暇でたまらないこの3週間あまりを乗り越えられたのもnoteを書こうと決めたおかげでした。なかったらどうなっていたか想像がつきません。

「ここにこんなことを考えている人がいます」と発信したら、読んでくださるひとがいた。

とてもありがたく、背中を押してもらっています。私もなるべく読んだnoteにはいいねを押していきたい。

いつまで続けられるかわかりませんが、なるべく長く書いていけたらと思っています。これからもよろしくお願いします。


この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,857件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

読んでいただきありがとうございます!いただいたサポートはnote記事購入にあてさせていただきます。