「Yとアイドル」

 ももクロが「ミライボウル」を出したのが2011年3月9日でなんだか曲もきらきらしていて(のちに前山田健一/ヒャダインの名前を知り)ノリノリですばらしいし、その前にTIF2009(TOKYO IDOL FESTIVAL2009)の「走れ!」の映像をYouTubeで見て、ディスプレイ越しにまぶしくって、大根仁監督の映画『モテキ』でも森山未來演じる藤本幸世がこの映像を見て走りだすっていうシーンがあるけど、当時全国できっとあのももクロの映像を見て走りたいと思った人は続出したんだと思うんだけど、っていうのはどこかで書いた気がするんだけど、それで当時のYは好奇心の塊だったのでとにかくライブだ!ライブ行くぞ!みたいになってその前にインストアイベントで握手とか行ってみようと思ってっていうのが3月11日で、午前中に「ミライボウル」のCD買って握手券もらって一旦帰って、19時からはじまる新宿タワレコのイベントまで、家で映像をおさらいしながら待ってるときに、揺れて、っていうのがあって、それからすぐ、4月には早見あかりことあかりんが卒業してしまうんだけどそれをYは中野のスターバックスの二階で、ガラス越しに、中野サンプラザを眺めているということをして、中野のスタバの前には桜の街路樹があって春になると二階の窓ガラス一面に広がるすごくすごいスポットなんだけど、桜の花の間から今まさにあかりんの卒業ライブをしているだろう中野サンプラザを見て、その中にいるモノノフのみなさんを見てっていう感じでYはいて、その後、生まれて初めて最初にアイドルの現場にいったのはその直後の、東京キネマ倶楽部のももクロ十番勝負の吉田豪との一番。MCでメンバーを引っ張っていたあかりんが抜けてじゃあ残ったみんなでグループを何となしなきゃいけないから、いろんなジャンルの著名人を呼んでももクロの成長に繋げようとかそういう思惑があったんだったとおもうんだけど、それを見て、その次はZepp Tokyoでの1日ライブ3回回しの2回目だったかな、MCなしで、毎ステージほぼ1時間半くらい?、全力のパフォーマンスで、れにちゃんが当時は鞭みたいに踊っててすげえって思ったし、モノノフのコールも現場で生で聞くと人間ってこんなに必死に声出したりダミ声張り上げたりする?っていうくらい叫び声を上げる人が前後左右にわんさかいて「やべー!」とか思いながら笑いながら感動するみたいな風になってて、当時「モノノフ」ってもう呼ばれてたんだっけか忘れちゃったけど、とにかく「生きること=声を張り上げて誰かを応援する」みたいなことを、ああこんな世界があるんだ、自分も誰かを応援することができるんだみたいなことを感じられたというか、さんざんいろんなメディアに騒がれるようになるアイドルのストーリーも、ももクロは強力だったのでとにかく頭からつま先から全部つかって、何より体験しないと体験できないし知らないと知れないとか思って現場は時間があれば飛び込んでいって、っていうのを繰り返していたら、ちょっとずつほかのアイドルでもどこどこがいい、みたいな情報が入りやすくなって、それでYouTubeとか見てて、スク水で歌って踊ってダイブするアイドルの映像を見て知ったのが、たぶんそういうのでYが知ったのがBiSだった。

 BiSの楽曲はロックというかメロコアというか、メロパンというか、Yが学生時代に夢中になっていたHi-STANDARDやHUSKING-BEEやBRAHMANみたいなエアジャム世代って呼ばれる感じの曲とかで、あとでプロデューサーがYとほぼ同世代ということを知ってなるほどーって思うんだけど、ただ、そういう曲を女性の声で、アイドルで聞いたことがなかったので、ガッツリ突き刺さった。中でも「PPCC」という曲のMVはメンバーがスク水で全力疾走して最後にはバットを持って暴れるってやつで、それが歌詞の内容とはそこまでリンクしてないんだけどエネルギーがあふれていて、すんげえ!よい!ってなって、そういうのを見ていてもメンバーのパーソナルが全く想像できなくて、謎めいていて、何考えてるんだろうとか思って、ももクロとBiSのどっちも追いかけるようになり、BiSは特にライブがたいへん過激で、リフトはあるわモッシュダイブは当たり前だわで、パンクスがいっぱいいて、マインドも近くてそれもたのしかったし、っていうか。パンクスの定義をどうするのかはまた長くなるのであれだけど、誤解を恐れなければ“不器用な人たち”、みたいな風にYは理解していて、パンクスの受け皿とか居場所っていうのは表通りのきらきらと光っているような明るいところにはなくて、たぶんヒップホップと同じで、生きづらいひとたちのレベルミュージック(反抗)として生まれていった、吐き出すために生まれた、たしかそうだった気がするんだけど、それで、BiSの音楽やMVやメディアの態度はすっかりそれだなって思って、BiSのプロデューサーは当時、ヴィヴィアン・ウエストウッドやマルコム・マクラーレンになりたい、といったことを発言してた気もするんだけど、これは記憶違いかも知れないけど、マルコム・マクラーレンはたしか言っていた。一方、メンバーの方をよくよく追いかけていくと表裏があって、裏ではやっぱり、与えられたストーリーに乗りきれなくなってしまうというできごとが、それぞれのメンバーでやがて出てきてしまったりするんだけど、Yが受け手として見えていたものは、「パンクだ!かっこいい!」ってだけで、どんどんハマっていった。
 BiSの運営をリスペクトする形で生まれたアイドルがいて、BELLRING少女ハート、通称ベルハーというアイドルがいて、BiSのメンバーがベルハーのメンバーと仲がよくなったりして、気になってベルハーも聞くようになって、聞いてみたらこっちはサイケロック/エクストリームポップで、歌声もふしぎだし、ピッチも安定してないし、踊りもメンバーそれぞれで自由だし、でもライブの破壊力がものすごく高くて、オタの乗りもエクストリームでめちゃくちゃで刹那的で、一時期はももクロとBiSとベルハーを追いかけて、休日のライブハウスをハシゴしたり、対バンライブで気になるパフォーマンスするアイドルも見たりで、Yは2013年、TIFにひとりで参加して、いろんなアイドルを見たりした。

 握手会とかチェキとかもやってみないとその時の気持ちなんてわかんないっていう言い訳をつけてYはたくさん行ったけど、けっきょく分かったのは、何度行ってもその時になると舞い上がって語彙力は一切失われるっていうことと、握手してるときは握手することに夢中になるし、何か言おうとすると「あうあうっあのあのっ」とかしか口から出てこなくて、あっという間に剥がし(オタの後ろに立ってて、背中とかをぐいっと押して列を流す人)にめっちゃ移動させられるし、チェキも、喜んでくれるかなと思うポーズなんかテンパってるから一個も思いつかなくて、最終的には前衛写真みたいな、Yの後頭部と怒り顔のメンバー、みたいな意味不明なものが積み上がっていったりして、この経験が何かの役に立ったことはないってYは今のところ思ってて、人見知りが解消されているわけでもない。

 2012年の暮れだったか13年の初旬だったか忘れちゃったけど、ググれば一発なんだけどあえてググらないで書くんだけど、BiSが元BEAT CRUSADERSのヒダカトオルを迎えてリリースした「BiSimulation/Hide out cut」両A面シングルを最後に、メンバー2人が次々と脱退して、この辺の理由等々はもどかしい思いしかないし、詳しく知りたい人はぜひggrksなんだけど、ワキサカユリカことワッキーの歌声とテラシマユフことゆっふぃーの歌声が効きまくっている2曲はYの当時の心を打ち砕いて、ヒダカの曲(「BiSimulation」のみ)もクールだし、とある事情で続けられなくなってしまい脱退することになったワッキーに送られたとされる歌「Hide out cut」がなによりよいものすごくよい。Yにとってはこの2曲との出会いは大きかった。13年の3月にワッキーが国技館ライブをラストに脱退(けっきょくググった)、そしてゆっふぃーが5月のライブで脱退となって、思い出したけど、Yが初めてBiSのライブ現場に行ったのは13年5月のこのライブは2ステージあって、1回目はゆっふぃーのラストライブ、2回目は新メンバー3人のお披露目ライブで、Yがやっと生でBiSのライブを見られたのは、2回目の方だった。フロアにはモヒカンの人とかタトゥーいっぱい入ってる人がいっぱいいて、いっぱいおさけのんでて、本気で怖い感じだったけど、でも実際はただただたのしかったってYは振り返ってるらしい。まあとにかくこの2曲はMVもめちゃくちゃかっこいいので見たことない人は見てもらいたいとYは言っていたような気がするけどまあ、それから、BiSの解散まで追いかけて、横アリで解散を見とどけて、解散ライブは大狂乱で、フロアもステージもむちゃくちゃで、屈強な黒人のガードマンとオタクたちでもみ合いもあったり、とにかく最後の全部のBiSに対する全部をぶつけようとしてたオタクたちが全力でオタ芸を打ったりしてて、ってそれも禁止されてたんだけどリフトしたりしようとしたらすぐにガードマンが引きずり下ろしにくるみたいなのを何度も何度もずーっと繰り返して、たくさん燃え上がって、3時間のライブが終わった後に、ステージにはBiS流のジョークで遺影があったんだっけな。Yはもう満身創痍で、ボロボロになったTシャツ姿で、ぼんやりとそれを眺めてほうけてたら、何だかちょっと、「ああ、」って思って、「あそうか」と思って、それはその間にもいろんなアイドルのグループの解散や脱退やそのほかいろいろと見たり聞いたりしてきて、特に推していたメンバーの脱退は当時かなりショックで、それでもグループが続いていくことに、アイドルオタクのみなさんが必ず通る道だとおもうんだけど、ぜんぜん頭と心が追いついていかなくて、徐々に、というか、大きく、接触イベントのあるアイドルとはYは距離を取るようになってて、あんまり関連楽曲も聞けなくなって、そこで、入れ替わるみたいに登場したのが、BABYMETALだった。

 BABYMETALはさくら学院の重音部からはじまったメタルダンスユニットで、接触イベントは一切なし、MCもほぼなし、Yがライブに行くようになってからは演奏は音源を流して当て振りする「骨バンド」と、生演奏する超絶技巧の「神バンド」が交互にやっているような感じで、接触がないので、純粋に音楽をたのしんだり、ライブに行ったり、関連するメタル曲を聞いたりして、「これ元ネタか〜」と楽しんだり、ちゃんと距離を保っていられるのが、BiS解散後のYにはよかったみたいで、ハマった。
 SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALという3人がBABYMETALのメンバーで、パソコンの単語登録もしてあるんだけど、あ、Yは、Yのパソコンは。その3人のトライアングルはどんなに広い会場でもまったく空気感が薄まらなくて、振り付けがMIKIKO先生(Perfumeとか)というのもきっと大きいんだろうけど、昔、ニルヴァーナが名盤「Nevermind」をリリースしてグランジ旋風が巻き起こったときに、ロックレジェンドのオジー・オズボーンとかSONIC YOUTHのサーストン・ムーアとかがコメントをしてて、ライブDVDの「LIVE TONIGHT SOLD OUT」の中に収められているんだけど、誰かが、「馬鹿にするわけじゃないけどまあ、ロックってよりはポップだよな、ポップアルバム」みたいなことを言ってて、そのアーティストは何となく揶揄して言ったって感じがあったんだけど、つまり大衆に受け容れられる音作りとかメロディーをしていたってことで、BABYMETALもそれを思い出したっていうかいい意味で。メタルサウンドっていうけど、ムチャクチャ聞きやすいし、メロディーもはっきりしてるし、Yが好きなのは「Catch Me If You Can」(作曲NARASAKI)というインダストリアルメタルな曲で、ギャリギャリにひずんだリフと、脱力系のボーカルのバランスがめちゃくちゃ見事だなーって思って、あらためて聞くとTHE MAD CAPSULE MARKETSも感じられてほんとにいい。完璧な3人だなーとか思っていたんだけど、2018年、YUIMETALが脱退した。

 別れ。
 とかいうと大げさかも知れないけど、ある日、あの日、「自分でも全力で応援して、その応援を受けとめてくれる人がいるんだ」と気づいたときから、たぶん、CDを買うことやライブに行くことや、歌詞や振り付けを覚えること、グッズを買ってTシャツを着ることとか、そういう関連の全てが、少なくともここにはいてもいい、と、自分を許せるような場所になっていて、それは体だけではなくて心も、ここに、自分が相手を応援する気持ちさえあれば、とか、この音楽を好きで、たのしめるのであれば、とかで、ここにいるなら、ここにいることは少なくとも自分にとっては間違いじゃなくて、みたいなことを感じていて、Yは。だから、その目の前に広がる世界から、応援する対象がいなくなることが、いなくなりつづけることがちょっとだけ、かなしいみたいな感じになって、まあYはいい年こいてずいぶん泣いたりしてたみたいだけど、笑っちゃうけど、そういうことが重なって、いま応援できるなら応援しなければ!っていうのを通り越して、信心が足りないってことかもしれないけど、のどを壊さんばかりに叫んだり、フロアで押し合いへし合いしたり、することがけっきょく、その先のいつかの別れとつながってしまうんだなーとか、やたらとネガティブな感じになってしまって、本当は別れじゃなくて、卒業していくメンバーにとっては出発だったり船出だったりするから、そっちに向けて応援してあげればいいんだけど、たぶん、かなしいと思うってことはすこしなりともアイドルのメンバーたちに依存していたんだなとも思うわけだから、だからYが自分の心を引っ張られるのだったら、それはやっぱり、そのものから卒業してもいいかな、ということがあり、っていうことは、元を辿れば、もしかしてあの日の「ミライボウル」のインストアイベントに行こうとした日がちょうどあれだったから、Yはそこに強く心の繋がりを感じてしまって、たぶんじゃなくて明らかに心の拠り所にしていたわけで、だけど、そうやって、拠り所から、恋愛感情じゃなく、恋愛感情じゃなくて、いわゆる「好きなメンバー」がなんにんも去っていくというのは、何かどうも、うまくしまったりたたんだりできなくて、何度も言ってしまうけど、おいて行かれる気がして、かなしくて、で、じゃあそういう世界からちょっとでもはなれられるのならはなれたほうがいいかなとYは思って、って言ってもはなれるというのは、応援をしないとかぜんぜんそんなじゃなくて、ただちょーっと現場にいかなくなるとか、そういうことで、それでけっきょく、「自分が応援することで、自分の居場所を確保していたY」はおうえんするばしょがなくても、大丈夫になったみたいで、それはそれでよかったのかなーとかおもってるってYがいってる。

 とかいいながら、2015年、BiSの後に新しくできたアイドルグループのBiSHの最初の曲「スパーク」を聞いたときに。何かの帰り道に、夜、駅から家までの徒歩15分、初めて聞いたとき。聞く前に「えー、まーたBiSにHをつけてBiSHううう? どーせたいしたことないでしょーーー」とかおもって、「どうせまあ絶対すきにならないとおもうし、アイドルはまあまあ卒業してるしぃぃぃ」みたいな感じで、かるいきもちでイヤホンから流れてきた「スパーク」は、歌詞がBiSのおわりからのつづきで、まあ初めて聞いたとき、フラッシュバックというか、いろいろとおもいだしちゃって、その、イベントいろいろとBiSを追いかけてかけずり回ったりした時のこととか、ライブハウスで声はりあげて、Yが、推しのなまえ叫んでたりしてたのとか、ケチャしたり、ぐるぐる回ったり、知らない隣のオタと肩組んだり、ダイブした人がおちてくるのを受けとめたりとか、フリコピしてみんな一斉に後ろ振り向いたりとか、メンバーのライブMCでみんなで一緒に泣いたりとか、そういうことを思い出しちゃって、からの、冒頭から歌詞はクルものがあるんだけど、きわめつけがアイナ・ジ・エンドとハグミィ(脱退しちゃった)の落ちサビ、
「このまま消えてしまえ/愛のない罪のない言葉たち」
「空虚は雲の彼方/痛みを痛みでこらえたい」
とかの流れでY、その、何ていうか、ポロポロ、ポロポロ、田中小実昌の場合は口から出るポロポロだけど、この場合は目からポロポロとたまらず思いが溢れてしまっていた。

 別れはあるし、それだけじゃなくて、出会いもあるっていうことをやーっとアイドル相手にも実感できた瞬間がこれであったというのは、ずいぶんと時間がかかったもので、それからはもう適切な距離感を保ちながら、ドルオタというよりは音楽聞くときは何でも聞くし、好きなアイドルソングもたくさんあって聞いているというスタンスになって今に至ってるみたいで、っていうのが、いまのYへとつながっている。これからも。Yは。

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