あなたの

こんにちは、あなたは元気でしょうか。

こちらは最近、雨が降ったり晴れたりと猫の目のように天気が変わりますが、極力外に出なくていいときは外に出ないようにして過ごしています。

大林宣彦監督が旅立たれて、真っ先に思い出したのは『転校生 さよならあなた』(2007)でした。真っ先に、というのはちょっと言い過ぎました。報せに驚いて、ああ、と思って、それから監督作を考えて、その止まり木に行き着いたという感じです。

大林監督は現場でご一緒したこともありませんし、ただの一ファンでしたが、『転校生』(1982)のリメイク作『さよなら あなた』はいくつもの不意打ちに感情が忙しかったのを覚えています。劇場でもなく、ただテレビで、サブスクリプションで見ただけなのに。

ここで告白しますと、尾道3部作の第1作『転校生』は見ておりません。とても恥ずかしい。これを機に見たいと思っても、駅前のTSUTAYAは先月末で閉店、サブスクリプションにも入っておらず、Amazonプライムのレンタルにもラインナップはなく、パッケージの権利がたぶんバップなのでしょうか、続く『時をかける少女』(1983)『さびしんぼう』(1985)はKADOKAWAからお得なお値段でリリースされているのに、『転校生』は再販されておりません。ということで、今すぐには見られませんが、いつか見るでしょう。

『さよなら あなた』はサブタイトルを見ると、お別れのお話なのだろうと思うのですが、実際の内容はもっと強いものでした。停滞しているようなムズムズするシーンなどもあるのですが、映画も演劇も、そういう箇所も含めての鑑賞体験。とにかくいろんな味がした2時間、最後にはオイオイ泣いて、しばらく放心していました。

「あなた」というのは何だか不思議な言葉です。
日本国語大辞典(精選版日国)では、
①あちら。向こうのほう。
②以前。過去。
③未来。
④あのかた。あちらの人。対等または上位者に対して用いた。
とあります。
他方、三省堂・新明解国語辞典(第6版)では、
①【彼方】「向こう」の意の雅語的表現。
②【貴方】自分と同等程度の相手を軽い敬意をもって指す言葉。
で、さらに運用として、
「古くは高い敬意を表した。現在では敬意が下落し、同等以下の相手にも用いられる。特に男性が、目上の人や初対面の人に用いると、見下したような印象を与えやすい。また、友人どうしでも相手と一定の距離を置いて接する場合に用いられることもある。夫婦間では、妻から夫への呼称として用いられる。」(引用ここまで)

“さよなら”という言葉にかかる“あなた”、この作品の場合どれにも当てはまり、何を特定にしてもしっくり来てしまうという、見事な副題になっています。隔世の感があったり、どういうわけか手の届かない感じがします。

ぼくの話。幼少期に海外に住んでいたとき、家族でよく旅行に行きました。寝床は子どもと親で別室。ぼくは小学生にも満たなくて、子どもには大きすぎるベッドに寝付けず、不安になって親の部屋に行くとベッドは空。姉に聞くと「パーティーでしょ」という答え。詳しくは知りませんが当時の親は社交界にも顔を出していたようで、夜にいないことがよくありました。旅先、しかも海外。ぼくは長い時間天井を見て、「このまま置いて行かれたらどうやって生活すればいいんだろう」と悲しみに暮れたことが何度もありました。

今となってはすっかりひとりにも慣れ、いろいろ失ってもきっとどうとでもなるだろうと思えるくらいには成長しましたが、生きている世界の半径が狭ければ狭いほど、その世界の消失への危機感は大きい気がします。

“あなた”の響きは、すごく近い世界なのに、手が届かない響き。そういうのが凝縮されている感じがします。

大林監督はこの作品をどう捉えてたのでしょうか。と思って検索してみたらブログを発見。
映画“転校生 さよならあなた”日記
ネットのアーカイブ、ありがとうございます。じっくり読みます。

創作にはいろんな感情が描かれています。それを受けとり識ることで、この先の自分にも活かせたらいいなと思うわけです。すぐには終わらないでしょう。こちらの旅も、長いものになりそうです。

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