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面の皮が厚い

感情を表に出しましょう、もっと笑ってと言われながら育った人間が、ここ最近感じていることについてお話したいと思います。


面の皮

昔から「感情を表に出しましょう」「笑いましょう」「思っていることを口に出して話しましょう」と言われながら過ごしてきました。

しかし私の中ではまわりの人間と同じことをして過ごしているはずなのに、何が違うのだろう。感情は表に出しているような気がするし、笑っているのにと思っていました。

そしてこれらをキレながら話す大人が多く、どこへ行っても自分のことがわかってもらえる場はないと思いながら過ごしてきました。

要は私は面の皮が厚い人間なのだと思います。


ちなみに

ちなみにですが、これは暗い話ではないのです。

ただ単に「なぜだろう」と数秒ほど考えて、その数秒を超えると阿呆らしくなって毎回考えることをやめてきました。

おそらく
自分のことをわかってくれる人間が現れるのではないかという甘い考え、自己中心的な考えがあったのだと思います。

しかしあまりにも稀な例なのか、周囲の人間にはそれらのことが知られることもなく過ごすことになります。


最近の出来事

そしてここ最近の出来事です。

手をつなぐ という記事の中で少し、無言のまま手を繋いでいるという話をしたと思います。

正に彼らこそが、自分のことをわかってくれる人間なのではないかということにようやく気付きました。

わかってはいたつもりでした。
つもりでしたが、もう一度深海に潜るくらいの位置まで考えてみたといったところでしょうか。

やはり今回もまたきっかけは音楽関連の映像でした。
その映像には自分に似た人物、特殊枠 に似た人物、最も仲良くしている友達に似た人物がちょうど同時に出てきます。

客観的に見ると「ああ、自分ってこんな感じなのだろうな」と思うと、この上なく苦しくなったと同時に、何かに解放されたような気もしました。

私は面の皮が厚いのだと思うのですが、特殊枠 は破り方を知っていた人物、友達はそもそも面の皮が見えていないのではないかと思うと、笑えます。

分かる人にはわかってもらえる。分からない人には分かってもらう努力をする必要があったはずだが、私は努力をしてこなかった。

そんな話でした。
面の皮はこれからも厚いです。


とはいっても、音楽の邪魔になるような情報があると困るものです。
リズムを刻んでいる間くらいは音楽を純粋に楽しみたいと思います。






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