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失っていくもの

最近、夏にも秋桜咲いててもう漢字変わっちゃうんじゃないの?と思ったりしてます

こんにちは
こんばんは


今日はまた気付いてしまったことについて。




このところ、父親と接触が増えました

増えたといっても、同居しているご家族だったら1朝ごはん分くらい

でも私にしたら一年分くらいの会話量



用事があって実家に寄ったら、父親がいて見つかっちゃった…という感じなのですが




普段話さない分、自分のこととかドバーッとしゃべってくる


私のことも気になったことばしばし聞いてくる




以前、結婚しなくても子供産んで欲しい
みたいなトンデモ発言があったのでかなり会話を避けていたのだけれど
さすがにそんなこと2度は言って来ず


まあ、普通?ってくらいの会話なんだけども
そもそもあまり父親とは縁がなくて


というのも、両親の離婚の原因が「母が父に構って貰えず寂しくて浮気した」というのが表面的な出来事


というくらい、父は自分一人でなにかする、もしくは少ない友達となにかする、というのが好きな人で


いままで父の友達が家に来た、なんてことはなかったように思う



休みの日はふらっと出かけてしまう

私たち姉妹が離婚を機に実家に引っ越した直ぐに単身赴任を決めてしまう



そんな感じのひとだった




私が大学に行くため新幹線乗り継ぎで3時間半くらいのところで一人暮らしを始め

その準備を手伝ってくれて、父が帰り際に母と離婚したことを初めて告げたことや


その半年後に家にいる時に泥棒に入られて鉢合わせした、なんてことがあった時でもこちらには来てくれなかったことなど



私の中で、頼っていい人から
ただの他人になっていったひと



そこから、人に頼ってはいけない
というより、頼るとは何ぞや?

そんなことになっていったきがする



そんな父も老ていくにつれ
なんとか娘とコミュニケーションを取ろうとしているみたいだ

娘が適当に振った
「実家をいずれキャンプ場にしよう計画(ゆるキャン△movieか)」
なんて雑談にも付き合ってくれる変貌ぶり


そのあとふと思ったのだ

今、心を許したとして、この人は私のそばにあとどれだけいてくれるのだろうか、と




そして思ったのだ

途中でいなくなってまた辛い思いをするくらいなら、このままでいいんじゃないか、と



思えば全てがその基準なのだ
誰かと仲良くなることも
人を好きになることも


私にとっては、心の内にその人を住まわせるということは、何か確証がないと無理なのだ
もう、またあの夕暮れのように泣き叫ぶようなことは耐えられないのだ

それをわかった上で、あの後から今まで同じことを何度しただろうか

次こそは、なんてもう簡単に思えないのだ
更に、まあこっちも本気じゃないしその時が来れば終わらせられるだろ、みたいな暇もないのだ


もう、誰かを住まわせるだけの余裕が私には無い
誰かが一足飛びに無理やりでもこじ開けて住処を作ってしまわない限りは



現実にはそんなことは起こり得ず
私はただ、失うことに怯えて生きている

心はあの12歳の頃の喪失に壊れたままのようだ


みんな、失うことをわかっていないのだろうか

どんな関係であれ、いずれ必ず終わりが来るのに

持っているから、失うということが起こるというのに


それを私は弱点だと思っている


誰かを好きになることは、ものすごい幸福であり、致命的な弱点を負うことだと思っている



みんな強いひとばかりだ

羨ましく思う




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