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血のはなし

結婚をして思ったことは
シンプルに、絶対的な見方ができたと感じた。

お互いに相手の考え方に肯定したり、
生活を重ねていく中で違和感を感じたら
納得するまで話し合ったり、
そこまで諦めの気持ちを持たずにできるのは
いい意味でも、悪い意味でも他人だからだと思う。

きっと分かり合えるはずという期待と
分かり合いたいと思う気持ち、
反対に少しお互い違う人間なんだという現実。
全てひっくるめて、
互いの関係性に諦められなかったり、
一生懸命になれると思う。


自分を育ててきた親とは少し違う感覚。

親も親できっと色んな意味合い含め、
私自身を分身や所有物とまではいかないが
何かあった時、自分が責任を取らないといけないと考えている生物なのだと思っている。

その分、相手への期待もあるけれども
なんとなく自己が形成されていく中で
親と完全に分かり合えない悲しさ、
価値観を肯定するというよりは、
親だから、長く生きているからという
なんとなくふわっとした概念で
否定されることも多かった。

1番認めてほしい相手なような気もするし、
1番ぎゃふんっと言わせたいような相手でもある。
親に対して感謝の気持ちも多い反面
一人前の大人として認められたいような、
20代後半になっても反抗期真っ只中というか
歪な感情を持ち合わせている私である。

いろいろな話をしていく中で、
自分の性格の話、なんとなくの血筋や遺伝の話
自分の価値観、感覚を踏まえて深い話をするのは親では近すぎて、喧嘩が多い。
親にも親の意見があるし、その時代の文化を生きていたからこその価値観もある。

姉妹もいるけれども、なんとなくそこも距離感が近いような気がして、、。
妹と話している分にはこんなに大人になったんだと感じる部分が多い反面、
私自身の自我が強すぎて、全力で話しきれない部分もあるんだ。

前置きが長すぎたけれど、
今日一つ年下の従兄弟と飲みに行った。

私たちの家族間は従兄弟とはすごく頻繁に会っており、小さい頃から友だちのような感覚であった。
長期休み、お盆、年末年始、
大人たちが酒を酌み交わし、
子どもたちにとってはつまらない場であったけど
どうにかして楽しもうとするのが子どもの
天才的な才能であった。
様々な遊びを楽しむ中でも、
私たちは縁側でいつもだるまさんが転んだをしていた。

飽きたら曾祖母さんの家の庭にある池にいる鯉に
餌をあげたり、
凶暴な番犬に喧嘩を売ったり、
顔を真っ赤にしたおじさんたちにねだって、
千円を握りしめて、
令和の時代にはもうないようなお婆さんがいて、天井から吊るされている
くじ引きの商品があるような
駄菓子屋に行ってお菓子を買って食べて、
まただるまさんが転んだを夜まで行うような日々。

思い返しても、楽しかったと思えているから
大人になった今も従兄弟たちとの関係性は続いているのだと思う。

大人になって、両親との関係に悩んだり、
従兄弟が同じ職業ということもあり相談する機会がすごく増えた。
お互いが大切な人を見つけて、結婚しても
互いの結婚生活の話や両親の話、仕事の話
飲んでいる中でも話が尽きなくて
こんなに良き理解者がずっとそばにいてくれたことが凄く嬉しかった。

従兄弟は一つ年下の男の子で、危なかっしくて
落ち着きのない大変な男の子だった。
子どもながらに私が守らなきゃ、
私がしっかりしなきゃ、
なんて思っていた。

今は私より大きくて、優しくてしっかりしていて
奥さんを大切にしている優しい男の子になった。

今とは違い、幼少期そんな従兄弟と出会えたからこそ、私はこの仕事を選んだと思えているし、勝手ながら従兄弟の成長が嬉しくてたまらない。

家族じゃないけど家族のような、
自分と同じ血が少し入っている
いい距離感で関われてる従兄弟に対して嬉しく思うと同時に、自分にとって良き理解者が本当はずっとそばにいてくれたんだなってことを気付かされた最高な夜だったなと思い、嬉しくてたまらない。

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