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悪臭

 ※pixiv小説で公開したオリジナル怖掌編小説『悪臭』に加筆修正。
 ※実話怪談ではありません。
 ※#2000字のホラー応募作品。



 最寄り駅に向かういつも通りの、特段変わった場所などない通学路での話。
 もうすぐ始まる期末試験の事を考えながら、重くも軽くも無い足取りで歩いていた時の事だ。

 反射的にクサぃッ!と言い捨ててしまうほどの強烈さだった。
 英語の担当教員が自慢げに纏うしつこいだけの香水より重層的で、故に本能は研ぎ澄まされ、強く危機感を覚える――酷い悪臭。
 
 口中がみるみるうちに酸っぱい唾液で溢れかえった。
 道の脇に蹲って、幾度となく唾液を飲み込んだが、吐き気は収まるどころか強まる一方だった。
 鳩尾が痛くなっても、嘔吐できない。一体何がどうなっているのか、これまで生きてきた十数年の中では体験したことの無い苦しさだった。
 唾液が枯れるのを誘っているのか、悪臭は益々濃くなっていった。
 臭いのもとがなんなのか、否が応でも考えてしまう。
 古い血液、腐敗した肉の塊、違う、赤錆と、泥水と、傲慢と、虚栄と……具体的で鮮明なイメージは、自分の頭のどこから引っ張り出されてくるのだろう。全く心当たりのない異質な感触を伴って、ますます吐き気が強まっていく。
 
 頭の中の映像と言葉が不愉快なマーブル模様を作っていく一方、眼球が捉える現実世界はハレーションを起こし始めていた。
 行き倒れるなあと思った時、ふと、車道の向こうの時間貸駐車場が気になった。
 いつ見てもほぼ満車の駐車場に、一台も車が止まっていない。
 だから一番奥の、雑居ビルとパチンコ屋の壁面に囲われた一角が黄色のビニールテープで三角地状に区切られているのがよく見えた。
 三角地は青いシートで覆われ、花束やお菓子、キャンドルホルダーの中で未だ火が灯っている蝋燭が供えてある。
 
 何があったかは知らないが、清浄とは言い難い雰囲気だった。
 風はそよとも吹かず、体調も最悪。
 けれども。なぜだろう、ハッキリと。
 悪臭の発生源は青いシートの下に今も未だ「在る」のだと判った。
 冷たく凝った血液や脂肪、それに群がる小さな生き物の事ではない。かつてはその中にあって、笑ったりはしゃいだり殴ったり蹴ったりを、思うがままに楽しんでいた何者か。生きていることを証明する術を失くして途方にくれる、何者か。
 その彼だか彼女だかわからない何者かが、あそこに「在る」のだ。
 
 これだけ酷い臭いが立ち込めているのに、道行く人は何故平気な顔して駅に向かって行けるのか。
 世間の無関心さに腹が立ったが、悪臭の発生源から離れることが先決だった。
 身の安全が第一と、人の波を避けるように進んだ。夢の中で全力疾走するにも似たもどかしさだった。

 悪臭が嘘のように霧散した瞬間、思わず来た道を振り返った。
 駐車場は別の建物の影に隠れてしまい、視界にはせかせかした通勤通学風景があった。
 眉間の辺りにふわりと浮かんだのは、ヒトリという文字と真っ白な肌をした球体関節人形の映像と、人々がどうして臭いを気にせず各々の生活に没入できる理由。
 掴んでしまえば、不思議でもなんでもない。
みんな、この悪臭に気付いている
 嗅ぎ過ぎて、慣れ親しみ過ぎて……どうしようもないから。
 諦めているだけなのだ。

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