嫌われた記憶は好かれた記憶と同じ比重で「私」を作っている
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
今日も今日とて、過日のつぶやきを手掛かりに、心のストレッチをしてみます。
思考を解きほぐして、文字にして、最後はきっちり整いますでしょうか?
よろしければ、ひとくさり。お付き合いくださいませ。
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時代、だったんだろうと思う。
なにかと「女の子なんだから」「お姉さんなんだから」と言われて育った。
両親はそうでもなかった。そりゃあ、私は長姉なので、怒られる時は「お姉ちゃんでしょ!」と言われたけれど、何気ない普段の会話の中では個を尊重するようにしてくれていた。特に母は、家族という制度に縛られる大人にならぬよう、自由に自立するよう、方向を示してくれていたように思う。
では、いったい、私が感じていた圧迫感はどこからのものだったのか?
幼稚園や学校の「おともだち」のみなさん、長いお休みでしか顔を合わせない遠くの親戚、ご近所でも面倒見がいいと評判のおじさんやおばさん……。
そういった、おうちよりは広いけれども世界という単位に比すと極めて狭い社会の中で、時に言葉によってまた或る時は物理的なチカラでもって思い知らされてきた。
それは喩えるなら、藻掻けば藻掻くほど骨身に食い込む荒縄のような、一種の呪いのようなものだ。その威力が強くて、あまりにも長い時間放置され過ぎて、皮膚の下で私の一部のようになっていた。
そして、そういうモノが「ある」ということすら、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。なんかキツいなあ、息がしづらいなあ、大人になるって滅茶苦茶しんどいなあ、と思いながら。
だから。
大人になって、社会に出て「新時代の自立した人間」になるってのはすなわち、社会との闘争で死なない程度に耐える事だと信じていた。当然のように受けた傷を癒すにあたっては悲鳴を押し殺し、常に元気を装って笑顔でいられる事が大人の必須条件であると疑わなかった。
昨今、風だかなんだか知らないけど、時代が変わった!と耳にする。
「さあ!生き辛さを感じていたそこのアナタ、今度はアナタが生き易くなる番ですよ!」
カレンダーを新調したその瞬間に、そんな号令一発でこの呪いが解けるなら、私だって苦労しない。
そういう強力な回復魔法が本当にあるのなら、遍く世に行き渡って欲しいと願う。
今はだいぶわがままになって、好きなことやってるけど。
今の私を見て、好き勝手生きてる人は良いわねという人も居るが、一朝一夕でこの暮らしになったわけじゃない。それに、或る時突然、緊急ブレーキが引かれたみたいに思考が停止してしまう時が未だにある。
思考迷子をやりつつ、荒縄の絡みを少しずつほぐすようにして、こうして書けるようになったのだけれど、縄は完全に取り除けたわけじゃないのだ。
ちょっとのことですぐに落ち込むし、迷う。
自暴自棄になって、毒素をオエエエエエ……と吐き散らかす。
かつての呪いかけ名人(?)たちは、自分が呪いをかけたという自覚も無いまま、どんどん天寿を全うしていく。
だからといって、アナタのおかげで私はだいぶしんどい思いをしましたよと意趣返しをする気はない。
納得いかないことに「どうして?」と食い下がる探求心。
孤立無援でも好きなモノ・コトを手放さない我慢強さ。
アナタ方が「素直じゃない」「可愛げが無い」「執念深い」と忌んだ私の特性は両親から私へ贈られ摘み取られず育まれたけど、実はアナタ方も知らず知らずのうちに育んでいたのですよ。
気に入らないところはへし折って、御自分の理想のカタチに、きれいに整えてやったとお思いでしたか?
三つ子の魂百まで、とは良くも悪くもその通りで。
その特性のお陰で、私は今の『好きなコトやってるくらし』に辿り着いたわけですし。
そしてそこから生れ出る成果を一緒に楽しんでくれる人々にも出会えたのですからね。
ここ数年、例の疫病騒ぎでとんと御無沙汰になってたお墓参り。
そろそろ行ってもいい頃合いかなと思う。
「アナタは知らないでしょうけれど。今は『風の時代』ってやつらしいです。私もよくはわかってませんけどね、兎も角も、世の中も時代の風向きも……私でさえも気付けば変わってるものみたいですよ。アナタが愛でよと言った花、私も美しいと思えるようになりました。どうです?ちょっとは吃驚しましたか」
そんなようなことをね、墓前で報告してこようか、と。
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