止まった横須賀線の車内で
先日、練習の帰り道。横浜駅の乗り換えで、定刻より遅れていた横須賀線に深く考えず乗り込んだ。そこからまさか、2時間半も電車内に閉じ込められることになろうとは……。
幸い、空調と安全が確保された車内で、私は停車中のほとんどの時間を座って過ごすことができたのだが、それは、たまたま近くに座っていたある青年の心遣いのおかげだった。
「登場人物の全員に幸あれ」と音楽仲間に言われた一連の流れを記録がてら、ここに書き記そうと思う。
東海道線乗客の安全コック使用による急停止
最寄り駅の一つ前を過ぎてすぐ、非常ブレーキにより電車が緊急停止した。それと同時に空調が止まり、電気も半分切れて騒然とする車内。
そこでTwitterを開いて初めて、東海道線の先頭車両に電柱がぶつかった事故を知った。しかしそれは30分ほど前のことで、横須賀線は直接の被害を免れており、安全確認が取れたため運転再開をしたところだった。
その時に止まった理由は、先を走る東海道線の車内で安全コックが使用され、乗客が線路内に侵入した可能性があるため。車内アナウンスで、「この電車では安全コックを使用しないでください」と繰り返し案内された。
それから間もなくして再度アナウンスが入り、乗務員が本部に催促した(らしい)甲斐あってか、緊急停車から10分ほどで空調と電気は復活し、車内にはひとまず安堵の空気が流れた。(その後も度々流れる車内アナウンスで、ある乗務員の案内が非常に人間味に溢れており、大変だろうから大人しくしていよう…という気持ちになった。)
僕、ずっと座ってたんでよかったら……
そんな中、近くに座ってた青年が突如立ち上がり、「よかったら座ってください」と目の前の中年男性に声を掛けた。しかし、いつ動き出すかわからないこの電車、貴重な座席をそんな簡単に手放してよいのだろうか。しかも、彼は丸めたヨガマットとスーツケースを抱えていた。
席を譲られた男性がさらっと遠慮の意を示したため、次はその隣にいた私に声を掛けてくれたのだが、さすがに申し訳ないので「大丈夫ですよ」としっかりめに答えた。それでも青年は引き下がらず、「もう立ち上がっちゃったし、僕はずっと座ってたので大丈夫です」と席を離れたので、結局お言葉に甘えて座らせてもらうことにした。
乗務員の対応虚しく、動かない電車
逐一アナウンスが入るが、状況はなかなか動き出さない。本部からのノーレスによる待機にしびれを切らした乗務員が、「電気が通るところまで電車を動かします」と言ったところで、現在の電気と空調は非常用であることが明らかになった。しかし、誰かが手で押しているようなスピードでわずかに動いた電車は、すぐに急ブレーキがかかり再び止まってしまう。
「その場で止まるよう指示があり、緊急信号が出ているため動かせません」「東海道線のほうがまずい状況なので、(横須賀線は)後回しにされているようです」と、すでに疲れ切った乗務員の声。あまりに正直過ぎる報告に同情する乗客たち。
ついには、線路内を歩いて脱出する可能性まで示された。また少しざわつく車内。私は偶然、停車位置から徒歩10分ほどのところに妹の家があったので、連絡して泊めてもらう算段も立てたのだが、そこから具体的な案内はなかった。
そして30分ほどして、「電車が動かせないなら線路内に乗客を下ろす許可を出すよう求めているが、(本部からの)応答がありません」「運転再開の見込みが立ったらお知らせします」とアナウンスが流れ、さらにしばらくの待機状態となった。
緊急停車から1時間。東海道線の線路内誘導開始
緊急時の情報収集に、Twitterは本当に役立つ。横須賀線は停車から1時間が過ぎたところで、電車の位置も状況もほとんど変わっていなかった。
「(乗客の)救出計画について何度も問い合わせているが、本部からは『計画中』以外の返答が得られない」と、申し訳程度の現状共有アナウンスが入る。さらには、「緊急用の水分や食料は用意がないので、余裕がある方は周りと譲り合ってほしい」とまで案内された。
席を譲ってくれた青年は、座席間のスペースにしゃがみ込んでいた。その隣では、もう少し若い少年が野球の素振りをしたり、グローブにボールを打ち付けたりして暇を持て余している。
できることのなさに打ちひしがれながらも、私はカバンにベーグルが入っていることを思い出した。そこで青年に、「もし嫌いじゃなかったら…」と声を掛けたのだが、まさかのアレルギーがあり受け取ってもらえなかったどころか、かえって恐縮させてしまった。私はさらに申し訳ない気持ちになり、早くも打つ手がなくなった……。
幸い近くに体調が悪そうな人は見当たらず、車内トイレに向かう人が行き交うくらいでかろうじての平穏が保たれた中、もれなく2時間が経とうとしていた。この辺りで、東海道線と横須賀線の終日見合わせが決まった。
そのまま0時を過ぎて…
待機しているうちに、日付が変わってしまった。乗務員からは、「新しい情報はない」としながらも、次の駅(最寄り駅)まで走らせる予定だと見通しを示された。結局、線路に下ろす作戦は中止らしい。
「前にいる電車をどかしてからこの電車を動かす」というが、いつになるのかもわからなければ、先にある電波不通のトンネルも(途中で止まるかもしれないと考えると)不安だ。かといってできることもなく、待機を継続していたら、案外早く次の案内が入った。
そこからは(比較的)トントン拍子で事が進み、前を走る列車が次の駅に到着したという知らせが入って間もなく、私が乗っている電車も動き出した。そのままノンストップとはいかなかったが、乗務員による案内通り、平常時の終電より15分ほど遅い時間に最寄り駅に到着した。
駅に着いたら、ほぼ全乗客が下車
実は私は妊娠5ヵ月目に入る頃で、まだ見た目ではほとんどわからず、体力的な不安も少なかったので、マタニティマークを付けていなかった。それもあって、偶然とはいえ席を譲ってくれた青年にはとても感謝していた。途中で代わろうかとも思ったが、結局最後まで座ってしまったし…。
最寄り駅に降ろされたので自分は歩いて帰れるが、青年の住んでいる場所はどこなのか。もしもっと先まで行く予定だったのなら、AM1:00が近づく中で足がないのは明白だ。ちなみに、私はつい先日社用車から自家用車に乗り換えたばかりで、“車を出す”というカードがあった。青年の抱える荷物は合宿か遠征帰りのようだし、本当にそうならさぞかし疲れているだろう。タクシーに乗れるだけの持ち合わせがあるかも心配だった。
降りたところで改めてお礼を伝え、自力で帰れるか確認したところ、青年の自宅は鎌倉方面だが、時間帯もありご両親と連絡がつかないとのことで、迷惑でなければ家の近くまで送るよと提案したら、今度は受け入れてもらえた。
情けは人の為ならず
車を取りに帰る間、青年にはロータリーから少し離れたコンビニで待ってもらうことにした。歩いている時に少し話を聞いたのだが、某G大の美術学部を目指して勉強中の学生さんで、今日まで数日間泊まり込みで指導を受け、明日の始発で四国に飛ぶ予定だという。なお、ご両親は先に出発しており、自宅に帰ったら飼っているニャンズにエサをあげてから荷造りをするそうだ。
私が助けてあげられる状況で本当に良かったが、そんな大変なスケジュールの中で大人に席を譲るなんて…と驚きながらも(私には絶対に無理だ)、車の特徴と来る方向を伝えて一旦別れた。
家に帰ったら、スプラトゥーンをやっていて連絡がつかないと思っていた旦那さんは珍しく誘われたというアマンガスに夢中で、こんな私の状況にも「いってらっしゃい」と言うだけだった。しかも、このタイミングで自宅トイレが壊れていてバケツで水を汲むというタイムロスを挟む。
何か冷たい飲み物でも…と思ったが、あいにくちょうどいいものがなく、財布と鍵だけ持って車に乗り込んだ。青年は、ちゃんと指定した場所で待っていてくれた。
こんな子に育てたい…
高速を経由して30分ほどの道中、話を聞けば聞くほど、今の10代はこんなにしっかりしていて良い子なのかと感嘆するばかりだった。夜中に慣れない山道の運転であまり休めなかったかもしれないが、青年の案内もあり無事に家の近くまで送り届けることができた。
別れ際にLINEを教えてくれたので、ご両親が心配したらいけないと思い、財布に1枚だけ入っていた名刺を渡した。電車で私が楽器ケースを担いでいたのと、車で流れていたクラシックを聞いて、「自分はやっていないけど、親が音楽好きで…」と興味を持ってくれて、なんと近日開催される演奏会にも来てくれるそうだ。
ちなみにお腹に子供がいることも、伝えたらとても喜んでくれて、「こんなことが起きるなんて、物語の世界みたいだ」と笑い合った。生まれてくる自分の子供も、こんな子に育ってくれたら良いなと思わずにはいられなかった。
数日後に連絡したら、無事翌日出発して帰って来れたと教えてくれた。電車に長時間閉じ込められたのは災難だったけど、結果的には良い意味で忘れられない1日になったのだった。
後日、受験を控えた忙しい中、花束を抱えて本当に演奏会まで来てくれたので、記念写真。(左から旦那さん、電車の青年、私)
※今回のノートは、電車が止まったタイミングでたまたま連絡をとっていた友人が、私を心配して帰るまでずっと(オンライン上で)話を聞いてくれていたので、この詳細なログを書き残すことができた。感謝。
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