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私がカミングアウトした理由 ( BY FRANKLIN VEAUX )


とにかく、誰のため?


ポリアモリーのディスカッショングループで何度も出てくる質問のひとつに、カミングアウトにまつわることがあります。


kinky 〔性的に倒錯した、風変わりな、ひねくれたという意味〕関連のソーシャルグループでも同じ話題が出てくるし、他のオルタナティブセクシュアリティのグループでも同じでしょう。

私は、オープンで透明性のあることが大好きで、その理由はたくさんあります。哲学的なレベルでは、自分を偽って得られるものは何もないと思っていますし、真実を知れば敬遠するような人々に真意を隠すことが、実際に誰かのためになるとは思えないからです。(もし誰か、例えば家族が、あなたの真実を知らない間だけあなたを愛するとしたら、その人は実際にはあなたを愛していないのです。彼らは、想像上の投影のあなたを愛しているだけで、あなたがその投影を損なわないと誓うことによってのみ、愛は成り立つのです)。

現実的なレベルでは、皆がクローズドであったら、あなたのような人を見つけるのは困難になります。もし私がポリアモラスで、他の10人のポリーと一緒に部屋にいるけれど、誰もそれをオープンにしていなかったら、11人全員が「うわー、どこに行けば他のポリーに会えるんだろう?」と思うかもしれません。

「私がどう生きようと他の人には関係ないからカミングアウトはしない 」っていう人、結構いるんですよ。ある程度はその通りですが、問題もあります。

その話をする前に、私がどのように育ってきたかをお話ししたいと思います。

私は小学校と中学校を中西部の田舎で育ちました。ネブラスカ州ベナンゴという人口242人(当時)の小さな町の郊外に住んでいたんです。

〔中略〕

中学のクラスは8人で、ここ数年では一番大きなクラスでした。私が航空学、電子工学、言語プログラミングの基礎を独学している間の仲間たちの話題の中心は、デンバー・ブロンコスとダラス・カウボーイズのどちらが強いかというものでした。

だから、私は周りの人たちから疎外されて育ったと言っていいでしょう。これはかなり不愉快なことでした。

疎外感を感じていた私にも、いくつかのことがありました。私の周りの人々は、白人の方が黒人よりも優れていると自信を持っていましたが、彼らのほとんどは、文字通り、一度も黒人に会ったことがありませんでした。もし私がフットボール好きのアフリカ系アメリカ人だったら、あるいは(もっと悪いことに)オタクで同じく黒人だったら、状況はどれだけ良くなっていたか、あるいは悪くなっていたか分かりません。

高校入学と同時に両親がフロリダに引っ越したため、クラスに8人しかいなかったのが、一気に2,000人にまで増えました。生まれて初めて、自分と同じような人たちに出会いました。もちろん、周りの人たちからは疎外されたままでしたが。学校にオタクっぽい人がいるのは、私たちが明確な少数派ではないことを示していました。当時はまだ内向的で痛々しいほどシャイでしたが、少なくとも私には社会的サークルがあり、その繋がりは全く新しいものでした。

このことと、ポリアモリーについてオープンにすることには大きな関係があります。

大学1年のとき、私はもう内向的でシャイな人間でありたくないと意識的に決断しました。内向的で人見知りなのはもう嫌だと。私は、自分の社会的サークルにさまざまな種類の人を選ぶようになりました。もし、自分が不快になるような社会的状況を見つけたら、意図的にその状況に身を置き続けました。

ちょうどその頃、自分がkinkyでポリーであることに気づき始めました。大学に入る前の私は性的存在ではなく、男の子と女の子は違うという認識すらほとんどありませんでした。

しかし、セックスや恋愛に興味を持つ前から、言葉はないものの、自分がポリアモラスであることは知っていました。美しいお姫様が求婚者のどちらかを選ばなければならないという話は、私にはまったく理解できませんでした。お姫様がお城に住むというのは、子供のころには当たり前のように思われていましたが、なぜそこには王子様とお姫様以外の人が住む場所がなかったのでしょうか。

私のことを好きだからといって、どうしてその人が貞節を誓ってくれると私は期待するのでしょうか?一見すると、この考え方は意味がわからないでしょうね。

幼少期の経験から、社会から孤立することは不便ですが、致命的なことではないと知りました。ネットで、そして実際に会って、自分と同じような人たちと交流する方法があることを知り、「人見知り」や「社会性がない」ことは死刑宣告ではなく、それに対処するスキルは身につけられることも学びました。

そういう意味で、孤立した子ども時代を過ごしたことは、それほど大きな傷跡を残しませんでした。私には、自分がどうありたいかを選択し、そうなるための方法を見つけることができるほどの回復力があったのです。

インターネットが普及した1990年代、私はウェブサイトを作り始めました。

このサイト作りの目的は、若いころの私が価値を見いだせるようなリソースを作ることでした。私が実際にポリアモリーを始めたとき、他の人の失敗から学べるという状況はありませんでした。つまり、自分でその状況を作らなければならなかったのです。

このサイトは、私が予想していたよりもずっと人気があり、私は自分がポリアモラスであることを黙っている必要がほとんどなくなりました。

だから、私は一度もクローズドになったことがないんです、ほんの少しも。

ここで、「私がどう生きようと他の人には関係ない」という話題に戻ります。

一見すると、「私が誰と付き合おうが誰にも関係ない」というのは筋が通っているように見えますし、非常に現実的な意味ではそうでしょう。

私たちは、ある種の関係だけを認め、そこからあぶれた関係をけなす傾向にある社会に生きています。

結婚指輪をしている人が、何気ない会話で「昨晩は妻と食事に行きました」と言うとき、その人はその社会通念を認めていることになります。もちろん、どのような恋愛をしようが関係ないと言うこともできますが、結婚指輪をはめるという単純な行為は、非常に特殊な関係を公的に宣言していることになるのです。私たちが何気なく行っていることであっても、それを一緒に行う人々や、その人々と私たちの関係性を抜きにして語ることは難しいのです。

ポリアモリーの集まりでクローズドであることについて話すとき、圧倒的に多いのは、真実を知ったときの他人の反応が怖いということです。要するに、「情報をコントロールして、人間関係をコントロールしたい」という、非常にシンプルな考えに帰結するのです。敬遠されることへの恐れ、そして その恐怖を避けるために情報をコントロールし、正常であるかのような印象を与えるために、人々がどの程度までのことをやってのけるかは、時に非常に驚くべきものがあります。

私は、ポリアモラスであること(あるいはkinkyであること、その他のこと)に対して人々がどう反応するかという恐怖を感じたことは一度もありません。それは私が進化しているからだと思いたいのですが、実際はもっと単純なことなんです。仲間から完全に疎外されるのがどんなことなのか、私は知っています。でも、それを乗り越えられることも知っています。自分の社会的サークルと家族を作れることを知っているんです。

私はこの件に関して特権的な立場にいることを自覚しています。私は自分のために働いており、保守的な雇用主に解雇されることを心配する必要がありません。私は軍隊に属していません。(統一軍律では、不倫は犯罪であり、不名誉除隊、刑務所、またはその両方で罰せられる)。バレたら勘当されるような家族に経済的に依存しているわけでもありません。私には、連れ去られる可能性のある子供も、ポリアモリーを理由にして親権裁判で勝とうとしている元配偶者もいません。

だから私は自分が何者であるかをオープンにできるし、そのために苦しむ心配もないんです。

私たちの私生活が他の誰にも関係がないなら、ポリアモラスであることが原因で解雇されたり、不名誉除隊になったり、子供を失ったりすることを心配する必要はないでしょう。このようなことを心配しなければならない人々がいるのは、世の中の多くの人々が、恋愛生活をどのように営むかを決めるのが自分たちの仕事であるかのように捉えていることを意味します。

ポリアモリーや同性愛、BDSMなど、社会的に認められていないあらゆる人間関係の構造が否定的に受け取られるのは、人々がそれをあまり目にしないためで、毎日のように目にしないものを中傷するのは簡単なことなのです。黒人を見たことがないベナンゴの人種差別主義者のように、自分で何かを見る経験がないと、自分の恐怖のすべてをそれに投影しやすくなるのです。

その意味で、私が何をしようと他人の勝手です。具体的に、ポリアモリーを実践する人々に対して利用できる制度を作ることで、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、彼らはそのような状況を作り上げているのです。公的に認められた関係にある人は自分の関係のステータスを宣伝できますが、そうでない人は宣伝できないという社会的な期待を持たせることで、彼らはそのような状況を作り出しているのです。

コラムニストのダン・サヴェッジは、10代のゲイやレズビアンを対象とした "It Gets Better "というキャンペーンを開始しました。このキャンペーンの一環として、まさにこのエッセイで語られていることを行うこと、つまり、何か間違ったことを見たときに声を上げることが重要なのです。


疎外され、権利を奪われた1977年の私が、2012年の私を見たら、きっと驚くでしょう。今の私は、小学生の頃の私が空想していた自分であると同時に、それ以上の存在にもなったのです。

でも、ここに来るまでには、たくさんの努力がありました。だからこそこれは重要なのです。自分が何者であるかをオープンにすることで、妥協することなく、思い通りの人生を送れるだけでなく、今、自分の居場所がない人たちが、より楽に生きられるようになるのです。私のように、リスクなく外に出られる立場にある人は皆、オープンであることを選ぶことで、他の人に奉仕していると思います。私たちは、より良い社会を作るための選択をするのですから。


最終更新日 2020年5月12日

引用:https://morethantwo.com/whybeout.html


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