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教育界を照らす、満ちることのない月『みかづき』読書感想

(A)はじめに:知っているようで知らない、塾。
学生の頃に一度は通ったことがあるであろう「塾」。今でこそ広く一般的に利用される塾だが、市民権を得るまでには多くの荒波を越えてきている。自身も塾講師として働いていた経験もあるが、やはり学校教育との関係性は独特で、特殊な業界であると感じていた。

2017年の本屋大賞で第2位を受賞し、2019年にはNHK土曜ドラマにもなった本書は、昭和30年代から平成にかけて、学習塾業界の勃興に一家三代で奮闘する家族の物語だ。教育界の太陽である学校教育に対し、塾はどのようにして月となったのか。

塾の台頭による教育界の大きな変遷を追体験できるのはもちろんのこと、混沌とした業界で半世紀にわたって戦い続けた家族の姿にも注目だ。

(B)あらすじ

時は昭和30年代。千葉県習志野市の小学校の用務員だった大島吾郎は、放課後に用務員室で子供たちの相談を受けることが増えていた。中でも勉強に関する相談が増えており、「待つ」ことをモットーとする吾郎の補修によって成績を伸ばす生徒が増えていた。評判はたちまち広がり、放課後の用務員室は子供たちでごった返していた。
そこに来る児童のひとり、赤坂蕗子に対し、吾郎は他の生徒とは異なるものを感じていた。ある日、吾郎は自分の不在時に、蕗子が自分と同じスタイルで子供たちに勉強を教えているのを目撃する。事情を聴いた吾郎は、蕗子が母、千明の指示で吾郎の指導の偵察に来ていたのだと知る。千明は文部官僚の男との間に設けた蕗子を、シングルマザーとして育てており、自身の国民学校時代の教育への反発から、補習塾の開設を目論んでいた。遂に直接乗り込んできた千明の迫力に圧倒され、また保護者との不貞をリークされた吾郎は、流されるままに千明の元へ訪れ、2人は結婚する。近隣の八千代市に塾を開き、千明の母の頼子を加えた4人家族による塾の経営が着実に進んでいき、2人の間には新たに娘、蘭と菜々美が生まれる。
しかし、学校教育との対立やライバル塾の台頭、そして自身の子供たちの教育方針など、2人の価値観の対立が表層化していく。吾郎は開放的な教育論を唱えるワシリー・スホムリンスキーの評伝を書くが、これが決定打となり、津田沼の有力学習塾まで成長させた千明と遂に袂を分ち、家を離れる。

3人の子供たちは、吾郎との離別をきっかけに、それぞれの道を歩み始める。蕗子は、母親とは離れ、一時期連絡も絶ち、夫とともに秋田県に住み、公立学校の教員として、塾とは違う形での子どもたちとの触れ合いを追求する。次女の蘭は、塾の経営に関心をもち、跡取りのような振る舞いを見せ始める。三女の菜々美は、教育界しか眼中にない家族に反抗し、早々に留学し自由な道を歩み始める。千明はそんな3人の姿を目にしながら、自身の進退についても考え始める。

蕗子は夫の死後、息子の一郎とともに実家へと戻ってくる。一郎は就職がうまくいかずに、蘭が経営する配食サービスの会社で配達を担当するが、その中で、貧困のために塾にも通えない子どもたちの存在を知り、そうした子ども向けの無料の学習塾を立ち上げる。慣れない経営に苦労しながらも少しづつ前進する一郎と学習塾に、祖父の吾郎は新たな月を見出すのだった。

(C)感想:人に歴史あり、家族に歴史あり。

本書は大まかに分けると3部構成になっており、親子孫の三代にわたって塾業界の変遷と向き合っていく。およそ半世紀の間で教育界は、高度経済成長期やお受験戦争・偏差値至上主義、そして反動のゆとり教育。少子高齢化と大学の統廃合による全入時代と、実にダイナミックな変化に晒されている。塾も当然その渦中におり、大きな影響を受けたこともあれば、変化の当事者だったこともあるだろう。夫婦で塾を経営した吾郎と千明。塾の中で育ってきた蕗子、蘭、菜々美。塾を嫌厭するも、血に抗えなかった一郎。大島ファミリーにとって、この半世紀はまさに激動であったといえるし、彼らが塾業界の歴史の体現者であるといっても過言ではないかもしれない。

吾郎と千明は、塾の経営者としてそれぞれ優秀であったが、夫婦としては課題の多い二人だった。それでも家族の事を思い、有事の際には連携する姿を見ると、なるほどこれが「パートナー」ということなんだと感じさせられる。3人の娘たちの心理描写や生き様もよく考えさせられる。家族の中で唯一、吾郎との血のつながりがなく悩む蕗子は、一方で最も吾郎イズムを継承しており、吾郎の人生に最も影響を与えた人でもあった。蘭はまさに千明の生き写しという感じで、蘭を通じて千明が内省していく姿がとても興味深い。菜々美は教育界から距離を置き、豪胆に自分の道を進んでいくが、そんな菜々美こそが大島家に足りないものを補い、家族にしてくれているのだ。一郎は塾一家に振り回され苦悩するものの、最後は塾を生業とするものの血を感じさせる。そして教育界に次代の変革を促そうとする姿に、この物語はまだまだ続いていくのではと感じさせる。

まさに人に歴史あり、家族に歴史あり、だ。

(D)素敵な一節​

教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ。

自分の考えを持ち、それを発信する力を養うことが、本当の教育だと感じる。

もう私、さすがに満ちるのはあきらめたわ

満ち足りようとして研鑽して、でもいくらやっても満ちることはできなくて。満ちることをあきらめたとき、人は初めて満ちるのではないか。

(E)まとめ:教育界を照らす、満ちることのない月。

教育は常に満ち足りず、誰もが憂い嘆いている。しかし、だからこそ人々は研鑽し、未来永劫改良され続けていく。教育界の激動と大島家の半生を通じて、自身も常に満ち足りることなく研鑽し続ける「三日月」でいたいと思わせてくれる一作。


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