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我々は眞子さまの結婚を認めるべきである

 ついに、眞子さまの結婚が正式に決まりましたね。
 世の中はとても歓迎ムードとは言えません。私も歓迎する気持ちにはなれません。連日報道される内容に溜息が漏れます。「何でこんなことに…」「眞子さま本当に小室さんで良いの…?」なんて言い始めたら尽きません。

 ですが私は、こんなことを言っておきながら、眞子さまと小室さんが結婚する事に反対ではありません。(もちろん感情としては結婚して欲しく無いですが…)

 私は「国会や国民の間で、眞子さまの自由に対する議論がされなかった為にこのような事態になったのだ。」と思っています。この結婚は決して眞子さまや小室さんだけが悪い訳では無いのです。事の本質は私達にあります。
 では、その根拠を以下で述べていこうと思います。

1.眞子さまも人間だ

 まず前提として、この結婚は、小室さんの母親の借金、小室さんの過去、眞子さまの国民の声への無関心等、挙げれば切りが無いほどの問題を抱えています。私を含め、国民は不安で仕方ないでしょう。
 しかし、どんな問題があるとしても眞子さまも一人の人間です。人権を持っており、結婚相手を選ぶ権利(婚姻の自由)を持っていると言われてしまえばおしまいです。
 現在の日本では、人権は人間全般に自明のものであり、また何よりも守るべきものであると考えられています。この思考は強固で且つ広範に認められているため、否定することはとてもじゃ無いですが出来ません。
 この意識の中では、世の中で叫ばれる眞子さまや小室さんへの批判は、「人権」を盾にされてしまえば何も言えなくなってしまいます。

2.眞子さまに人権はあるのか

 では、本当に「人権は普遍的で自明」なのでしょうか。実は、天皇や皇族においては違います。 天皇や皇族は、憲法や法律では例外的な存在として規定されているため、人権を享受できるか否かは大いに議論の余地があるのです。

 まず第一に、天皇は世襲であり、その立場の継承により「日本の象徴」という地位が維持されます(天皇制)。しかし現代の常識から考えれば、公的立場の継承が血縁による世襲で行われるなど到底許されるものではありません。例えば、安倍元首相の一族しか総理大臣になれないという法律があったら嫌ですよね(笑)。極端な例ですが、そんな不安定な制度を許されているのが天皇及び皇族なんです。
 次に、そんな不安定な制度で支えられている「象徴」という地位は、その不安定さに反して非常に重要な役割を担っています。天皇はある種の権威ですから国を運営する正当性の源泉ですし、また「象徴」とはその名の通り日本の象徴ですから、国民が象徴としての価値を認めることではじめて天皇たり得ます。憲法の第一条では以下のように述べられています。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
[日本国憲法、第一条]

天皇は、「天皇が居なければ現在の日本は存在し得ない」と言って良い程に、非常に重要な存在なのです。
 眞子さまを含め、天皇及び皇族は以上のような「不安定さ」「象徴の重要性」を持っているので、一般に認められるような人権をそのまま適用するというわけにはいきません。選挙権や居住・移転の自由、国籍離脱の自由、表現の自由、信教の自由、婚姻の自由など、権利の剥奪まではいかなくとも、大幅に制限せざるを得ないのです。

 この考えを支持するように、最高裁判所は天皇に対する民事訴訟が起きた際、以下のように判示しました。

天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。
[最判平成元年11月20日、民集43巻10号1160頁]

 天皇の民事裁判権は否定される、つまり天皇の私生活における自由は限りなく少ないという事を認めているのです。(ちなみに、刑事責任は天皇に限って免れており、皇族は免責されません。)

 以上のように、皇族である眞子さまは人権を制限される存在です。よって小室さんとの結婚を、婚姻の自由や人権を盾に擁護することはできません。

3.眞子さまの自由は誰が決めるのか

 天皇や皇族は人権を大幅に制限されているというだけで、人権が無いわけではありません。人権がなければ私生活における買い物や、そもそも結婚すらできません。最近はむしろ、進学先が広がったり、被災地の訪問を増やしたり、国民にお言葉を述べたり、生前退位が国会で認められる等、自由な行動が認められているように感じます。つまり、自由は制限されるものであり、完全に禁止されるものでは無いのです。

 では、人権制限の程度は誰が決めるのでしょうか。それはつまり私達国民です。決して政治家や皇族自身ではありません。
 国民はさまざまな場で議論を重ねる事で、世論を形成する事ができます。それはSNSや新聞、テレビなどのメディアを介して拡大される事で、若しくは国民の運動として直接的に国家に影響を与える事で、議会や内閣は、皇族の人権制限の程度を国民の意見を参照しながら決定するようになるのです。時には憲法や法律、制度そのものを変えながら。
 国民が主体性を持って政治に参加することで初めて、国家は国としての政策を国民の総和として決定することができるのです。
 このような論理は理想論のようにも思えるでしょうが、しかし、これこそが日本という国家であり、民主主義であり、議院内閣制なのです。理想のように思える根本があってこそ日本たり得るのです。憲法では以下のように表現されています。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
[日本国憲法、第十二条]

 ある人は、皇族の人権制限の程度は、国会議員や宮内庁等の官僚、裁判官、学者が定めるので、国民は何もできないと言うでしょう。確かに、知識を持たない国民が世論を形成しても意味がありませんし、また意見を持てたとしても国民は直接的には天皇制に変更を加える事ができません。
 しかし、そのような考えは危険ではないでしょうか。民主主義の否定、日本の否定とも取れます。国民が無知で直接として政治に関われないからといって、無視されて良いということにはなりません。
 むしろ国会議員や官僚などの指導的立場の人間、裁判官などの専門家、学者などの有識者は、その知識や制度、影響力を最大限に活用して国民に寄り添い、より納得がいくような結論に至るように助けるべきなのです。

4.私達には眞子さまに意見する権利が無い

ここまでくれば、私が最初に述べた

ですが私は、こんなことを言っておきながら、眞子さまと小室さんが結婚する事に反対ではありません
「国会や国民の間で、眞子さまの自由に対する議論がされなかった為にこのような事態になったのだ。」

という言葉の意味が理解できた人もいるのでは無いのでしょうか。

私は結婚を肯定しているのではありません。
私達にはそもそも反対する権利が、道理が無いのです。

 確かに、眞子さまと小室さんの結婚は到底歓迎されるものではありません。仮に、彼らに落ち度が無かったとしても、国民が納得のいくまで説明して、疑念をすぐに払拭すべきです。この点、眞子さまと小室さんには大いに責任があると思います。

 しかし私達は、眞子さまと小室さんの釈明を待っているだけで良かったのでしょうか。そんなわけはありません。
 眞子さまは国民の意見に耳を傾けるべきであると訴えるべきで、また日本の象徴である天皇の地位を揺るがすような大いなる危機であると国全体で問題意識を共有するべきであったのに。
 皇族の人権に対する議論、天皇の人権に対する議論、男女差別に対する議論、象徴天皇制に対する議論等、知るべき知識や、議論すべき課題は山程あったのに。

結局何も出来ずに、最悪の事態を迎えました

 このような事態に至って、「私は認めていない」「眞子さまの将来が心配」「小室さんには残念だ」等と文句を言うのは虫が良すぎるのではないでしょうか。

 今からでも遅くありません。結婚が決まった以上それを変えることはできないでしょう。しかし、どうすれば眞子さまを祝福できる方向に持っていけるか、一時金などを渡す事で日本国民への責任から逃れることができないようにできるか等、考えられることはいくらでもあります。諦めて投げ出すなどあってはありません。

今こそ、今だからこそ、議論を重ねるべきだと私は考えます。

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