「生理」「月経」「月のもの」などと呼ばれる「アレ」に関する悩みについて
「女性のお悩み」
女性にもいろんな人がいてそれぞれいろんな悩みを抱えているが、ほとんどの場合、この言葉が指し示す物は一つであると言っていいと思う。一般的に「生理」「月経」「月のもの」などと呼ばれる「アレ」に関する悩みである。
女性であるわたしにも「アレ」に関する悩みがある。ただしその悩みは一般的な「アレ」に関する悩みとはちょっと、いや、かなり異なる。
実はわたしには「アレ」がない。そもそも「アレ」を引き起こす臓器がない。従って生殖能力もない。
しかし、女性として生きていると暗黙のうちに当然「アレ」が存在していて生殖能力もあるという前提が押し付けられることがある。たとえばWebサービスに性別を登録すると、「アレ」、そして妊娠や出産に関する広告が表示される。詳しくは後述するが、これはわたしにとってはかなりメンタルダメージを食らう。わたしの「アレ」に関する悩みは、一言で言うと、「アレ」の欠如による女性という集団からの疎外感である。
ここでわたしの自分史を少し紹介しよう。
わたしは乳幼児の頃から変わった子供だった。いわゆる女児の規範的言動とも男児の規範的言動ともかけ離れた言動をしていた。自分でもそれは自覚していて、幼稚園や学校では周りに合わせようと多少の努力はしていた。しかし、どうしても周りと噛み合わず、いざこざが生じてしまうことがあった。そのような状況で、いつしかわたしには出来るだけ普通の人でありたい、周囲の人間と同質でありたいと言う無意識的願望とでもいうものが湧き起こるようになった。
わたしには決して生理が来ず、妊娠および出産ができないという事実を知ったのは中学生の頃だった。その頃はまだ妊娠と出産など遠い世界の話だったし、それほど気にしてはいなかった。しかし、いまだにトラウマ的に記憶に残り続けているある出来事がきっかけで、この事実を意識してしまうようになってしまう。
それは中学生の頃、確か図書室外の廊下だったが、わたしに「アレ」がないことを知っている同級生女子が蹲っていたので、声をかけたところ、生理痛がひどくて蹲っていたらしく、不機嫌に
「あんたには一生この辛さはわからない」
と吐き捨てられた(正確にこの言葉だったかは自信がないが)という出来事である。
この出来事以来、「アレ」の話、「アレ」の対処に使われる諸々の用品の宣伝、「アレ」の痛みを和らげる薬の広告など、「アレ」に関する物に接する度、「ああ、わたしは一生『普通の女性』にはなれないんだ」と身に染みて感じるようになってしまった。
特に20歳を過ぎた頃から、同年代の知人が結婚したりし始めると、妊娠や出産が身近な話題になってきたが、これから先好きな人ができても、その人との子供を産むことは決して叶わない、そう考えると、なんだかあまりにも不公平すぎて、発狂して叫びたくなってしまうこともある。不幸中の幸いか、この人の子供が欲しいと思うような人には会ったことがないけれども。
このような感情を抱えていたとしても、結局社会生活上は何の支障もない。たしかに「アレ」の痛みがひどくて会社に行けない人などと比べたら、その点においてはわたしの悩みは大したことじゃないと言われてもしょうがないと思う。ただ、このような悩みを持っている女性も存在していて、本人にとってはかなり深刻な悩みであるということだけは知っておいてもらいたい。そして「生理のある人」という意味で「女性」という言葉を使ったら、少数とはいえわたしと同じような境遇の女性に対して「お前たちは女性じゃない」と通告しているも同然であることを認識してほしい。
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