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3、イギリスの中世から近代にかけての人口動態

次に同時期のイギリスの人口を見ていく。その前にイギリスの人口を語るうえで外せないのはマルサスの人口論だ。今までそれとなく書いていたが人口には切っても切り離せない前提ともいうべき要素がある。それは食糧だ。人口と食糧に深い関係性があるというのは常識として考えられているかもしれないが、当然と思われる関係を初めて論じたのがマルサスの人口論である。江戸時代初期の人口増加は新田開発による食糧供給の増加も大きいことは示した通りだ。

人口論では最初に「食糧は人間の生存にとって不可欠である。」と「男女間の性欲は必然的でありほぼ現状のまま将来にわたって存続する。」という当たり前の前提を提起し、その前提から「人口は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増えない。そして人の性欲はなくならない。」という有名な命題を導いている。つまり人間と食糧の増える速さは全く釣り合わない、食糧の増える力よりも人間の増える力のほうがはるかに大きいということだ。

穀物は耕作した土地でしか育てることができず収穫するには一定の期間が必要であり、その年の天候や疫病で収穫が台無しになる可能性があるという不安定な資源である。アダム・スミスが製造業は分業によって飛躍的に生産効率を上げていることを評価したが、農業は商工業ほど分業が上手くいかない。なぜなら分業というのは一本の直線となっている作業工程に対して縦にメスを入れ解体し、細分化された工程を別々の人間で分配することで作業の標準化、単純化を図り効率性を高めるからだ。しかし、農業の場合作業工程がほぼ丸一年にわたる長期的な作業であり、その作業期間は自然界の法則に則っているため操作することができず、同時進行で諸々が一つの作業に集中する分業のメリットを、農業は十全に活かすことができない。それゆえ一つの作業を複数人で行う分担止まりなってしまい、農業は商工業ほど労働生産性を上げることができないのだ。一方人間は動物のように発情期という概念も性欲がなくなることもなく掛け算のように増えていくことができる。ならば人間は延々と増え続けることができるのではないかと思うかもしれないが、食糧の増加が追い付かないという自然法則を、人間は理性で生存の困難を理解することで人口の増加を抑制し均衡状態を保っている。ここでの理性は人間が持つ結果予測能力の意味として使われている。

当時イギリスは産業革命のただ中であった。18世紀は農業革命による生産性の向上や製造業の発展に伴い国に富が蓄積されていき労働者の賃金も上がっていた。そのような社会を人々、ましてや知識人さえも肯定的にとらえ現象から導かれる結果の本質を見ようともしなかった。マルサスは熱に浮かされ理想的、楽観的な意見に支配されていた世論に、製造業が発達し労働者の賃金が上がって人口が増えたとしても、食糧を増やさなければイギリス社会には貧困と悪徳が蔓延ることになると警告しようとした。

食糧難は最も人間の精神から道徳、倫理、良心というベールを取り払い醜い心を露わにすると考える。普段は深奥な教養と理性を持った善良な人間だとしても、自らの生存の危機を退けるための生存競争に身をやつし不正や略奪といった不道徳な行いに手を染め他人を犠牲にする選択をしてしまう。このような悪徳は社会のなかで感染病のように伝染し、秩序維持のための法は意味をなさなくなってしまう。マルサスの描く未来社会の惨たらしさを人々が読んだとき震撼したことだろうが、結果だけ見るとマルサスの危惧していた事態にはならなかった。

18世紀時点での歴史上未開、文明社会、地域を問わず生産しうる食糧で養える人間以上に人口が増えた試しがない。仮に一時的に超えたとしても必ず食糧の限界値まで抑制されるという事実にはこのような背景があることを初めてマルサスは明らかにした。仮に食糧難に見舞われたとしたら自らの食べ物を手に入れるだけでも難儀するため、子供を産んでただでさえ少ない食糧を分割しようとは思わないだろう。よく食欲と性欲は同じ生理的欲求として同列に扱われるが私は性欲を満たすために身体的エネルギーを使うことから食欲をある程度満たした先に性欲があると考えている。そういう意味で人口は食糧に抑制されるのはやはり正しいだろう。

さて今まで述べてきたマルサスの理論の前提条件は食糧にあまり余剰がない場合だ。では今の社会はどうだろう。私たちの身の回りには食糧が吐いて捨てるほどある。これは飲食店のアルバイトで食すのに支障のない食糧を廃棄する経験をした人ならわかるだろう。なぜ私たちの身の回りにこれほど食糧があるかというと食糧生産の技術向上や貿易によるものが大きい。前者は例えば気候が生産に適さない地域でも育つような品種の開発や、より効果の高い肥料の導入であり北陸が米所なのは品種改良を重ね、寒さに強いコシヒカリを作ったからだ。後者は国内で食糧を生産できないのであれば外から手に入れればよいという発想で、その土地の気候や土壌などの制約を乗り越えたのが前者、飛び出したのが後者といえる。

マルサスが指摘しなかった貿易まで考慮し経済を論じたのがリカードだ。彼は「経済及び課税の原理」で1815年に穀物法を制定に関わった地主たちに「地主たちの利益は社会全体の利益と相反する」と論じ正面から対立した。この理論の詳しいメカニズムは明示しないが、穀物法は当時議会多数派を占めているほど有力だった地主(ジェントリ)たちによって、大陸からの安い穀物(特に小麦)が国内に流入することを恐れ、自分たちの利権を守るため、輸入を制限した保護貿易主義的な法律だ。穀物の価格が高いということはマルサスやリカードが指摘したように、人口が抑制され労働人口が減少し労働者の実質的な賃金上昇につながる。そのため賃下げをもくろむ資本家と穀物の価格下落を望む労働者の利害が一致し、1839年に反穀物法同盟が組まれ46年には廃止に追い込まれた。

リカードの「経済及び課税の原理」でわかることは19世紀初頭からすでに貿易ないし自由貿易の是非が議論されていたということだ。貿易というのは人口を考えるうえで非常に重要な要素になる。歴史的に見ると封建制から早期に抜け出したイギリスは貿易によって、より一層の資本を蓄積し人口を増加させた。これは平地が少ない、土地が狭い、荒蕪などの穀物の生産能力が低い地域でも工業化による高い生産能力を身に着ければ、外から食糧を仕入れることで土地の制約から縛られることなく人口を増加させることができるということだ。そして運搬技術の発達によって貿易はますます発展していき現代社会の人口を考えるうえで貿易は重要な要素に位置付けることができる。

現代の日本は広大な土地を持たない島国であるうえ平らな土地が少なく、食糧生産に限りがある。だが大陸に広い土地を持つヨーロッパ諸国より人口が勝っているのは食糧を貿易によって他国から仕入れているのが大きく、それはわが国の食糧自給率を見れば明らかである。

ではこの当時のイギリスの人口を見てみよう。まずイギリスは1750年辺りで死亡率の急激な低下が起こり人口は急激に伸び始め、同時に出生率もわずかに上昇したがすぐに緩やかに減少をはじめた。1840年ほどで死亡率の低下は止まったが1750年から1880年の130年間で人口増加率は驚異の300%だった。イギリスも日本の江戸時代と同じ急激な死亡率の低下が人口を爆発させているのである。

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今年の3月、4月にコロナ禍真っ只中で暇なテルが書いた人口問題に関する論文じみた文章です。人口や少子化という概念を歴史的に分析し、主に人口と…

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