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15、むすび

日本は子育ての責任を家庭だけに押し付ける傾向は否定できない。例えば私が子供の時分、友達の家庭を引き合いに出し物をねだったことがあったが親に「外は外、家は家」という決まり文句でいさめられたことがある。これも家庭間の境界を明確に線引きし細分化されており家庭というものが非常に閉鎖的な証拠だろう。近年保育園を増設し待機児童を減らすことが急がれるが保育園に「子供がうるさい」などとクレームをつける人間がいるのを耳にしたことがあり非常に残念に思った。これも社会の単位が個人化していることの証左だと思う。

日本は戦後西欧的な自由主義、個人主義が浸透し個人の権利が最上の価値を持つようになり見合い結婚などの社会の慣例は全て打破された。個人主義自体を批判する気はないがこれも行き過ぎると問題である。個人主義は個人である自分だけではなく同じ個人である相手も尊重するのだが、行き過ぎると自分の権利だけを主張するようになるのだ。こうなると人々は自分周辺の生活だけを考え他人に配慮できない非常に近視眼的な視点に陥ってしまう。よく日本人の内面は豊かになったという論調もあるがそのような意味で私は貧しくなったと思っている。このような視点だと人口問題、少子化という国家的、民族的なマクロの課題は自分には関係のないものと切り離してしまうのだ。そしてそれを是正できるのは日本国民全体に影響を与えられるメディアや日本政府などの公の力が大きい。戦前の日本政府は出生促進政策を行っていたが戦後の政府は戦前を負の時代と認識しているからか国民生活に関わろうとはしないようだ。しかし人口問題、少子化が国の盛衰を分ける国家的、民族的な課題である以上日本国民を守り、日本国を将来にわたって存続させる使命を背負った日本政府がフランス、スウェーデン政府のように積極的に日本人の意識の変化を促すことが必要なのである。

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今年の3月、4月にコロナ禍真っ只中で暇なテルが書いた人口問題に関する論文じみた文章です。人口や少子化という概念を歴史的に分析し、主に人口と…

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