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8、戦後から現代までの日本の人口動態

戦後から現代までの出生数を見ていきたい。まず着目するべき点は戦後すぐに起こった第一次ベビーブームだ。終戦直後の1946年の出生数は約270万人と1940年から1945年は平均して220万人ほどだったのと比較してみても非常に高い数字だというのがわかるだろう。この要因は兵士として徴兵されていた男性がその任を解かれ、家族のもとへ戻ってきたことで増加したと考えられる。しかし興味深いのは多くのインフラ設備などが破壊され当面は貧しい生活を強いられると容易に予想できるにも関わらず出生行動に走ったことだ。戦争が終わったという安堵感が人間の合理的思考を鈍らせたと考えることもできる。

この増加した出生数は瞬く間に減少していき、1953年には200万人を下回った。おおまかに1950年の朝鮮戦争から1973年のオイルショックまで日本は高度経済成長期と呼ばれる経済成長期であるが、この成長期の原因はまず戦争によってあらゆる経済のインフラが破壊されたため相対的に考えて大きく落ち込んだ経済は上がるしかないという当然の帰結とそれを助長したのが朝鮮戦争の朝鮮特需であるということだ。

50年代後半になってくると成長論争と呼ばれる日本経済はこれ以上成長する見込みが薄いと考える人間と今後技術革新が起こり日本経済は更なる躍進を遂げるという人間で論争が起こった。池田勇人は後者を全面的に支持し総理となり、所得倍増計画という高橋是清に倣った金融緩和を始め平均で10%の高い経済成長率を記録した。上念司氏は明治維新や高度成長期という日本経済成長の裏にはキャッチアップ型経済成長があるという。簡単にいうと先進している欧米の背中を追いかけて模倣していたということだ。欧米諸国が長い時間かけて試行錯誤して創造したシステムやイノベーションをそのまま流用することで試行錯誤の過程を飛ばしすぐに正解にたどり着け、恐ろしいスピードで成長した。そのためすぐに先頭の背中は見え始め1970年代には追い付き成長期は終わりを告げた。

この間の出生数は徐々に増加はしたが200万人を超えることは無く、超えたのは第二次ベビーブームと呼ばれる1970年から1974年の時期だけであった。第二次ベビーブームは団塊世代と呼ばれる第一次ベビーブームの時期に生まれた人たちがちょうど結婚適齢期になるのと重なるため、分母が増え結果的に出生数が増えたという第一次ベビーブームの余波と考えることもできる。このため第二次ベビーブームの余波である第三次ベビーブームが起こると考えられていたがついにそのような現象は見られなかった。

この第二次ベビーブームから出生数は減少の一途をたどりバブル景気と呼ばれる1986年から1991年にはおよそ140万人と上昇する傾向はなかった。バブル景気の折出生数が増加しなかった要因として一つ挙げられるのは土地や建物などの価格が一般の人々には到底手が出せないほど高騰したことだ。子供を産むには空間が必要である。現代では家族同士のプライバシーを尊重するようになり家族の居住形態としての家は個々の隔絶された空間の集合体としての色合いが強い。そのため子供一人に一つの部屋をあてがうので子供を3人育てる場合はやはりマンションより一軒家のほうが適している。バブル景気の時、不動産価値暴騰によって一軒家に手が出せず、子供を産むことを断念した可能性がある。日本の出生率を都道府県別で見ると東京都が最も低く、それに次ぐのは大阪や埼玉、神奈川など比較的人が密集している地域であることから、高い人口密度と土地価格によって子供が暮らす空間が取りにくいことが影響していると思われる。

結局第二次ベビーブームから人口減少に歯止めはかからず、2019年には初の100万人割れを記録したのだ。戦前は常に安定した出生数を記録したが戦後は一転して減少の一途をたどっている。まず医療水準向上による死亡率の急激な低下と避妊技術の向上や教育制度の充実からくる受胎調節により社会は完全に多産少死から少産少死へ移行が完了した。明治政府の行った家父長制度からくる見合い結婚はアメリカの自由恋愛という価値観の流入によって廃れていき婚姻率は低下していく。戦前と戦後の出生数の違いは特にこの結婚観の違いからくるものが大きいだろう。この間の日本の出生率は1972年の2.14から徐々に減少し2019年は1.43となっている。

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