見出し画像

中野香織『モードとエロスと資本』 読書メモ

ファッションというのは、現代アートと同じように時代を写す鏡である。本業のコンサルティング現場において、企業を動かす人たちがファッションに興味が無いと言ってのけるのは、ビジネスに関する今後の展望に興味がありませんと言っているのと等しいようにも感じる。まぁ業界、業種に因るのだけども。

『モードとエロスと資本』。この3つを関連付けて書籍として読むということに興味があった。ファッション・アパレルのサプライチェーンマネジメント(SCM)変革の仕事を長くやっていたけれど、モードについては、ほとんど知らない。こうして考えてみると、ブランドディレクター、アパレルデザイナーを中心としたクリエイティブの世界については、あえて避けてきた感じもする。

ファッション批評が弱くなった。ストリートスナップが力を増し、それはインスタグラムの伸長を予見させていたのかもしれない。雑誌も権威を持っているが、それは有名デザイナーなどのインタビュー記事を掲載できるから、でもSNSによってデザイナーが直接発信してしまったら、雑誌はフォロワーと同列になってしまう。

雑誌はオワコンというのは容易いけれど、ヒト・シュタイエルが警鐘しているように、SNS による評判君主制は警戒しなくてはいけない事象だと思う。


『モードとエロスと資本』

2010年に出版された本、服飾史を軽妙な文体で軽やかに綴っている。それでいて骨太の論調であり、見た目と違って芯が強い。2000年代にファッション界隈に起こったハイブランドに纏わる話題、ファッションを楽しむ人たちの変化を捉えている。


リセッショニスタ、不況期にファッションを楽しむ人たちのこと。不況期でもワードローブを更新したいと考えていた。着なくなった服を交換するとか、工夫を始める。それに呼応するかのように高級ブランドのレンタルサービスが始まった。2009年に創業し、 ユニコーン企業になったRent the runwayのJennifer HymanはTIME 100リストに名前を連ねた。


ファッショニスタ達の思い込み、同じ服を着まわすというタブーがあった。だから、交換をしてでも、レンタルをしてでも、ワードローブを更新する必要があった。

ヴォーグの編集長(プラダを着た悪魔のモデル)が、そのタブーを破り、同じドレスを3度着まわした。公人が公の場で、同じ服を着まわすということはタブーだった。それって、なぜ?そんな問いかけを行動によって投げかけた格好である。

高い金を払って所有する、それが叶わないからレンタルする、「それって矛盾じゃない。」2008年のリーマンショックによって起こった変化。

倫理的な贅沢という対立する語の重なり合い。それは、ファッション業界をエシカルからサスティナへと導き、黒からグリーンにが塗り替えられた。これが2000年代、2008年にはすでにエシカルでなければならないという至上命題があり、ステラ・マッカートニーがそのトレンドを受けて、いち早く成功をおさめた先駆者だった。この流れは変わらず、2020年はグリーンウォッシングという批判まで出てきている。

冒頭にもリンクを貼ったヒト・シュタイエルの論考記事(032c トランプーバレンシアガ コンプレックス)、H&Mのサスティナブルへ誘導するソーシャル・ネットワークの使い方について警鐘を発している。

エシカルとは、ファスト・ファッションに対するカウンターであった。そうした機運が高まっている中で起こったバグラデッシュの縫製工場、崩落事故。こうした事の積み重ねが、世界のいろいろな部分に目を向けるきっかけにもなっている。



これまでは消費すること、買うことが投票だった。ソーシャル・メディアの登場は、そうした構造を緩やかに変えていった。

ラグジュアリー・ブランドは、丁寧で贅沢な職人仕事を一部の富裕層に対して提供していた。美しさはタイムレス、日本にしても、職人技術を込められた着物は流行、トレンドから切り離されたものである。高級ブランドが、資本集約を行い、コングロマリット化するにしたがって、その様子も変わっていく。



モードの燃料は恋愛だった。しかも倫理的に問題がある恋愛。ラグジュアリーの語源には肉欲が含まれていたが、いつしか、それが抜けていった。他者に自分をどう見せたいのか。ファッションは、投資効果の高いもの。これは、日本のセレクト・ショップ大手の役員の言葉だったか。


自己発現と他者承認の転換が起こった。他者を魅せるためのセクシーから自分の満足を追求するエロいへ。あるいは「カワイイ」という自己表現。

「カワイイ」とは、マンガとギャルと原宿とロリータとゴシックとパンクとビジュアル系と江戸文化とその他が境界なく融合しつつ拡散したようなカルチュアで、世界から憧れの視線を浴びている。アジアばかりか、従来は日本人が憧れの対象としてきた西洋の大人の女性までもが、「カワイイ」の模倣に励んでいる。(P.112)

ヨーロッパで流行したカワイイは、異国趣味も混じっていた。「エロい」も「カワイイ」も、「セクシー」の後継として、その地位を固めた。「エロい」も「カワイイ」も自分の喜びのためである。

2009年のシーズンは、マンガ的なものに溢れていた。

写真アプリでは、瞳を大きくし、キラキラにして、顎は細く、鋭角にする。肌はプラスティックのような光沢をたたえるように加工され、まるでフィギュアのような、アニメや漫画の登場人物のような姿を求めるようになった。

エルメスの社史をマンガで表現するというブランドとしては思い切った行動に出た。下地としてマンガ・アニメ文化の浸透があったものと思われるが、それでも、これはファッション関係者から、あのエルメスがという驚きがあった。


村上隆とルイ・ヴィトンのコラボ、重厚なロゴがカラフルに変えられた衝撃、ありえない世界が提示された。マーク・ジェイコブスとの繋がりかららしい。


ランウェーをアニメーションで表現したみたい。

ハイ・ファッション・ブランドと現代アートのコラボレーション、お互いの歩み寄りがあるよう。

一度、コラボに味を占めたら、どんどん後が続いていく。逆のコラボというか、ユニクロと有名デザイナーとのコラボ。皮肉なことに、有名デザイナーのビジネスをファスト・ファッション資本が支えるという事態。ファスト・ファッションのすそ野の広さ、それを有名デザイナーがエッセンスを注入する。ファッショニスタの民主化というか底上げがあり、有名デザイナーも資本的に援助をうけて助かるということ。

なかには、直接の資本投入もある。

その後、ストライプは株式を手放している。

ゼミのT先輩から、ファッションに興味がない人であっても、それなりにオシャレに見えるようになった。これは、そうした効果があっただろうと思う。

一方のハイ・ブランドのコラボ、もともとはビジネスの規模が決まっていた。つまり市場が決まっていたのだけど、ハイ・ブランドの大衆化をはかり、市場を拡大した。これも矛盾する言葉、こうした拡大路線がブランドのアセットを食い尽くす。本書では、ベルナール・アルノーに拠るものとあった。ティファニーも傘下に治め彼の帝国は、ますます拡大していく。


日本のアパレル企業、絶望的に海外展開が弱い。それぞれに海外展開に成功している企業もあるけれど、強すぎた内需に、海外展開を後回しにしてきたツケが、今更回ってきたようにも思う。AMETORAには、日本のアセットは、海外に十分に輸出できるとしている。


セクシーというか、エロさについては、それぞれの尺度がある。つまり、価値観。ただ、映画の影響というのは無視できない。例えばリップ。リップは薄い方が人気があったが、アンジェリーナ・ジョリーの映画、トゥームレイダーによって、ぷるんとした厚みのあるリップにトレンドが塗り替えられた。

日本だと倖田來未が最も勢いのあったころ。エロいが市民権を得た。


ブランド。とあるレディース主体の川中事業者の役員と話をしたときのこと、ファッション・アパレル業界では大手の会社。その役員が学生との面接で、「好きなブランドは?」と尋ねたところ、2, 3上がった名前は全てセレクトショップだった。それも、ある意味のブランドを築いているのだろうが、業界の中でのブランドの認識とは不一致を起こす。社会というか意識がそれぞれに変化しているのだろうか。アート・ワールドで言えば、好きなアーティストは?と聞いて、キュレーターの名前をあげるようなものだけど、その境界の融合的なものが、受け取る側にあるのかもしれない。


資本家によって買収や合弁が繰り返され、グッチグループ、LVMHグループを中心にブランド戦争なるものが繰り広げられていくなかで、モード界はブランドの路面店ラッシュやファッション誌の創刊ラッシュに沸いていた。シーズンごとに発表される新作の「イット・バッグ」や芸術品のように扱われるデザイナー靴の価格は吊り上がる一方で、ブランド消費は無限に拡大していくかのように見えていた。ブランドのロゴをひけらかし、きらきらと光る宝飾品を誇示する、セレブカルチャを巻き込んだ「ブリンブリン(bling-bling)」と呼ばれるファッションが全盛であったが、いまから振り返ると、あれは十九世紀末から続いてきた「富の誇示」スタイルの最後のあだ花であったかもしれない。(P.164)

この数年後に倫理という足かせがつけられたという。

時代のムードに形を与え、私たちの気分を形づくるもの、それがファッションである。(P.169)

そうして物質化ともいうべきファッションは時代の空気を後押ししていく。社会の変革を映す鏡のようである。




著者名をどこかで見たなと思っていたら、読みたかった本の著者だった。



いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。