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ドレス・コード?ー着る人たちのゲーム ファッションとアート

8月、京都で開催していた「ドレス・コード?ー着る人たちのゲーム」を見に行った。ゼミのT先輩が、アートとファッションの接続に関する研究を行っている。僕も、ファッション企業のデジタル化に関するコンサルティングを行っていることもあり、ファッション系の話題にはアンテナを張っている。

アートとファッションの接続。

様々な作品の中のファッション

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広い展示室は、スーツの展示から始まる。様々なブランドのスーツ、一言でスーツと言っても様々な様式があり、クラシカルなスタイルながらモダンに見えるスタイルなど、集められているからこそ、それぞれの個性を見ることができる。元々は上流階級の部屋着として作られたスーツが、ビジネスの場で着られるようになり、女性用のスーツが開発されるなど、変化しながらスーツという服文化が作られてきた。オフィスは以前よりも自由になり、スーツを着用することも少なくなってきたが、それでもなおスーツを着るという意味を考える点を提示している。中には、パーティでも無理でしょ、というようなスーツもあり、遊び心が一周回ってドン、な感じ。

コム・デ・ギャルソン川久保玲のスーツ、三角、四角などの構造を組み合わせたスーツであり、スカートをはいている。マネキンは白色であり、ユニセックスな雰囲気、スカートだから女性用、けれども、隣に並んでいる女性用スーツとは明らかにプロポーションが違う。だから男性用?スーツ上着の構造の組み立て方もあわさり、見ていると何とも不思議な気持ちになる。しかしながら、全体としてのバランスが調和しているためか、そのスーツに目が釘付けになる。衆目を集めそうな見た目の派手さは他のスーツの方に分があるけれども、そうではない表現がさすがだと感じた。アンバランスのようでいて調和されている。スカートをあわせるという緊張感。いろいろな要素を入れているにも関わらずにすごい。ただ、これってアパレル・デザインの領域だよね、なんて思う。

挿絵に刺繍、梅田阪急で見たが、ドレス・コード展の会場に展示されている作品の方が、圧があった。鑑賞者のファッションを見るという意識が、そのような趣向替えをさせているのかもしれない。

学生服、スーツ、画一的だからこそ逸脱される。着崩し、細部の細工へのこだわり。自身の他人への眼差し、視られることによる、他社の視線の操作の試み。スーツに至っては、型があるからこそ、微細なデザインやスタイルの違いを楽しむことができる。

軍需からの転用、迷彩服や、トレンチコートは元々は戦場で使われていた。ピンクや蛍光色の迷彩など、もやは迷彩としての機能を放棄している。

ジェフ・クーンズのゲイジングボール、アートを身に着けたいという欲求に応えたものであるという。そのシリーズでルイ・ヴィトンとコラボしたバッグがあったはずなんだけど、展示されていなかった。

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誰でも所有可能なポータブルなものに変容させることで、欲しいという人への欲求に応えた。

アートがファッションに浸食しているのか、またはその逆か。

どちらも浸食に貪欲である印象を受ける。

ゴールデンウィークのあたり、トム・サックスの初めての日本の個展、それに合わせてBEAMSでコラボ。Tシャツはあっというまに売り切れたらしい。

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アートとファッションのビジネス効果。なんていう研究をT先輩とやるとおもしろうそう、なんて思ってみたり。


展示はファッションからの文化人類学への接続を試みるかのような作品に変わる。

社会を見るスコープとしてのファッション。どの服(ブランド)を選ぶかではなく、どう組み合わせるかが重要である。という時代になった。

ハイブランドもファストファッションも全てが等価で交換可能な現代のファッション。


展示会のロゴは鏡になっていて、自分を写しこんでみることができる。

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現在は熊本で開催中

来年は東京でも開催するみたい


いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。