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異形のままでは「花」にならない 〜えも言われぬ気持ちに言葉を探して〜

ただし異形のままでは肺腑をつく花にならない。 それらを鎮め、荘厳する、しかも秋の鎮めかたとことなる、12 月の花として鎮めないといけません。

出典 
工芸青花ウェブサイト連載 川瀬敏郎「四時之花」
34 | 2020 年 12 月 14 日- 12 月 20 日

異形にも様々あるが、心揺さぶられる異形に出会うことがある。例えば先日は、ビル壁面の配管に絡まったツルウメモドキに出会った。4階くらいまで伸びていて、巨大だった。むき出しになった骨格はツルウメモドキの生き様を表すようであり、自らにも潜む荒ぶる魂の形のようにも見えた。曇りの日などには少し怖いくらいで安心して見ることはできないかもしれない。

違う季節を想像してみた。秋にはオレンジ色の実が圧巻だろう。春には芽吹き、夏には青々とした葉が繁り、花が咲き、喜びに満ちた風景が目に浮かぶ。「都会の壁には絡まるところがなくて、モンスターみたいになちゃった」。

最初は小さな植え込みで育てられてちんまりとしていたのかもしれないが、もはやおのずからなる自然となっている。都会で異形に見えるのはそのせいだろう。

冒頭の川瀬氏の言葉「異形のままでは肺腑をつく花にならない」を反芻する……。「花」にしたいのだとざわつく気持ちは飲み込み、異形はただ見てそのまま受けとめるしかない。「花」にするのは人為的なことと心得た。

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