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遠き日の台湾、心に残る微笑み【ショートショート】
一度完全に自殺を決意すれば、実行までの時間は穏やかに時が流れるものと思っていた。
仙人のように平穏な心を持ち、将来の不安とも無縁で、ニコニコ笑いながら過ごせるものだと。とんでもない。
意外なもので、決意した瞬間に涙は流れるし、実行までの期間、一日中胸騒ぎもする。
以前は高いビルを見上げれば、
『あそこのビルからあの場所に落ちれば、苦しむ事もなく、水風船のように死ねる』
と思ったり、シャワーを浴びれば
『風呂場で手首を切るのが一番なのかな』
と思ったものだが、本格的に実行に移すとなると、
『賃貸だし、親に金銭面で迷惑がかかるな』
と考えたり、
『線路に飛び込むのは一番迷惑だし・・・』
『じゃレンタカーを借りてどこかで練炭自殺・・・』
『いや、いずれにしても迷惑はかかるか・・・』
などと、後からどんどんと心配事が溢れ出てくる。
実行日まであと1ヶ月。
職場には辞める事を3ヶ月前に伝えている。最終勤務日の翌日に死ぬ予定だ。
我ながら用意周到である。
人生で一度も海外に出た事が無かったので、3連休を利用して台湾へひとりで旅行する事にした。どうせ死ぬのだから貯金も使いたかった。四つ星ホテルを予約した。
台湾にした理由は、「日本語を話せる人が多い」と聞いたからである。
ところが、そんな人はほぼ居なかった。騙された。
英語は一切話せないので、空港に着いてもどこからタクシーに乗ればいいか分からない。
Wi-Fiも通じず、1時間がかりで日本語を話せる職員さんを見つけ、荷物受け取りから1時間半後にタクシーに乗れた。
なんとかレンタルWi-Fiは手に入れたものの、夜だったので、自分の方向音痴加減と外国語能力の低さを考慮し、ホテルが視界に入る範囲内の場所で夕食を摂る事にした。ホテルの中のレストランは使いたくなかった。英語も中国語も台湾語も話せないにも関わらず、ディープな台湾を味わいたかったのだ。
小さな個人商店らしきレストランで、ワンタン麺と焼小籠包を食べた。日本人なので、メニューを読めなくても、肉なのか魚なのかは漢字で理解できた。
店主はなぜか、
「日本から来てくれてありがとう」的なニュアンスの事を言いながら、メニューよりも少し安い金額を提示した。
幸運には慣れていないので、一瞬理解ができなかった。
認めたくない幸福感と、発生した事がない高揚感。困惑しながらも
「シェシェ・・・」
お礼を言うことしか出来なかった。
翌日、最寄りの地下鉄駅構内で迷っていると、大学で日本語を学んでいると言う女の子が声をかけてくれた。
私が行ってみたかった市場の近くに彼女も行くと言うので、連れて行ってもらった。
彼女は日本で働くのが夢で、日本が大好きだとアニメの画像を見せながら話してくれた。
『私もうすぐ死ぬのに、この子優しいなぁ・・・』
なんて事を考えながら、目的地に着いた。
学生でお金がないと言う話をしていたのに、なぜか私に雪花氷(シェホワピン)をご馳走してくれるという。
意味が分からず、
「自分が助けてもらったんだから、ご馳走するよ?」
と話すと、
「日本語話してもらえて嬉しかったし、日本から来てくれたから台湾を好きになって帰って欲しい。そしてまた来て欲しい」
と言われた。
状況を理解するのに時間がかかったが、
『これは世に言う“親切”ってやつか?』
『どう言う事だ?』
『私の心が汚れているだけなのか?』
『男は私の身体目当てで、女は私を引き立て役にしたいんじゃなかったのか?』
最新のコンピューターを使っても答えは出ない。
その後に食べたフレッシュ・マンゴーが山ほど乗った雪花氷は、美味しいなんて物ではなかった。
『また食べたい』
素直にそう思った。
彼女と別れてからも、帰国まで優しい人間としか出会えず、血の繋がってない人からの沢山の親切と愛情と優しさと朗らかさに、ぐちゃぐちゃにされて、私の頭の先からつま先までギッシリと何万本も刺さっていた棘は、荒療治で皮膚ごと無理矢理剥がされたのか、一本一本抜かれたのかは分からないが、帰国する頃には普通の表情で普通に歩く普通の人間になっていた。
台湾旅行は、不幸な者にとってはある種大変慣れない、ある種居心地の悪い、所謂コンフォーダブルゾーンを抜け出した状況下に晒された経験だった。
家に帰るまでの電車で見る風景も、今までとは少し違って見えた。
『私、景色なんて今まで見てなかった』
『ずっと下向くか、泣いてたんだな・・・』
その日は荷物が多過ぎたので家の近くのスーパーに寄れなかった。しかし頭の中は
『今度レトルトか冷凍食品でもいいから、台湾で食べた物、また食べたいな』
と言う事でいっぱいだった。
帰宅すると、大切な事を思い出した。
『そうだ、私死ぬんだった』
『決めたんだった・・・』
『・・・』
『絶対今した方がいいのかな・・・』
『まだ誰にも言ってないし・・・』
その後、少し、いや強い罪悪感を感じながら、私は転職サイトを覗いた。
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