トマトと掲示板 2/2
制服を着ていない小林を見るのは初めてだった。いつも束ねている髪も、今日はそのままおろしている。
僕が想像していた通り、やっぱりさらさらとして、シャンプーのCMのようだ。
「本、借りに来たの?」
目が合ってしまった以上、そのまますれ違うこともできずに、僕は間の抜けた質問を小林に投げかける。
小林は僕をちらと一瞥した後、
「当たり前じゃない。図書館なんだから」
と呆れたように言った。二の句がつげないというのはこのことかと僕は心の中で思う。
僕の隣りを通り抜けてそのまま閲覧室に向かう小林の背中は、あいかわらずぴんとまっすぐだった。
これが学校なら、教室なら、僕はその背中をただ見ているだけなんだろうけれど。
ここは学校でもないし教室でもない。
僕はまわれ右をして、小林の背中を追う。
「ついてこないでよ」とは言われなかったけれど、小林は僕をまったく無視したまま小説の棚をうろうろと歩き回っている。
どうやら目当ての本は見つからなかったようで、立ち止まると小さくため息をつく。
そして閲覧室の奥にあるPCルームへと向かう。僕はまた小林の後を追う。
いつもなら順番待ちのパソコン利用だったが、この日は一台だけ空きがあった。
小林は利用カードを提出するとすぐにパソコンの前に座り、慣れた手つきでマウスを動かし、キーボードを叩き始めた。
僕は小林の後ろに立って、彼女が呼び出した画面を見ていた。
何も言わないところを見ると、別に構わないのだろうと好意的に解釈することにして。
「私のホームページなの」
画面に向かったまま、小林が言った。
「ここにね、色々なことを書いているの。休み時間に書いた小説とか」
そうか。小林が休み時間に書いていたのは、これだったのか。
僕は画面を覗き込もうとして、小林に一歩近づいた。ふわり、といつもの香りが小林から漂った。
「この香水、何か小林のイメージに合ってる」
いつもなら言えないはずの言葉がついこぼれた。
小林は驚いたように振り返る。
「気づいてたの?」
「うん。トマトの香りなんだってね。姉ちゃんが言ってた」
トマトと言っても、赤く柔らかく熟したものではない。小林のまっすぐな背中みたいに、どこかまだ固い、青いトマトのイメージ。
さすがにそこまでは口にできなかったけれど。
小林は自分の座っていた椅子を半分空けてくれた。
僕たちはひとつの椅子に窮屈な格好で並んで座る。
彼女のホームページに掲載されているものは、短い詩だったり、日記のような文章だったり。
長いものは今ここでは読み切れそうになかったけれど、家に帰ってから見てみよう。
僕はこのページのURLを忘れないよう、自分の携帯電話にメモしておくことにする。
「感想とか、ここに書いてくれたら、読むから」
小林はマウスでカーソルを動かし、メッセージと書かれた文字をクリックしながら言った。
「誰にも教えていないから、まだ何もないけど」
切り替わったページは、誰からも書き込みのない、真っ白な背景の掲示板。
「僕が書くよ。ちゃんと読んで」
小林は照れたように「ありがとう」と言った。小さな声で。
多分、この図書館を出たら、小林はいつもの無愛想な小林に戻るのだろう。
明日学校で会っても、僕はきっと小林に話しかけたりすることはないだろうし、小林は相変わらずクラスで気高く孤立したまま、一人で席に座り続けるのだろう。そして休み時間にはノートを出してきて、小説やら詩やらを考え考え書くのだろう。
僕はそんな小林の後ろの席で、彼女のまっすぐな背中と、やっぱり後ろで一つに束ねられた髪を見ながら、ぼんやりと授業を受けるのだ。
彼女のページの掲示板に書き込む最適な言葉を考えながら。
そして、時々彼女から漂う香りに、どきどきしながら。