見出し画像

いつか来るさよならを思いながら #幸せをテーマに書いてみよう

認知症のことを、英語でロンググッバイということがあるそうだ。
以前は当たり前にできていたことができなくなり、覚えていたことが頭の中から消えていく。
思い出も、家族の顔も、そしてやがては自分が誰なのかも。
あったはずの記憶は、どこに行ってしまったんだろう。
伝えたかった言葉は、どこを漂っているんだろう。
完全になくなってしまったのか、それとも見えないところに隠れているだけなのか。


『長いお別れ』(中島京子)。
昇平さんは、かつては中学校の校長先生だった。
ちょっと口うるさい奥さんの曜子さんと、3人の娘と幸せに暮らしていた。娘たちが成長してそれぞれ家を出た後は、曜子さんと二人で。
10年前、同窓会に出かけたはずの昇平さんは、その日どうしても会場にたどり着けずに、家に帰ってきて茫然としていた。不審に思った曜子さんが昇平さんを物忘れ外来に連れて行き、認知症との診断が下された。

ゆっくりと、でも確実に昇平さんの症状は進んでいく。
家にいても帰りたいという。言いたいことと違う言葉が出てくる。
「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」
昇平さんは、孫に向かって穏やかにいう。
病院に通っても、認可が出たばかりの新しい薬を飲んでも、少しずつ、ゆっくりと、昇平さんは遠くに行ってしまう。家族の声が届かないところへ。呼び戻せないところへ。引き返せないところへ。


去年の1月、父が急に言葉をうまく話せなくなっていることに気づいた。
「おはよう」という簡単なあいさつが、ちゃんと発音できていなかった。
もしかして、とすぐに病院に連れて行った。混んでいたのにすぐに診察室に呼ばれて、検査室をあちこち連れまわされた。その結果、脳梗塞だと言われ、そのまま入院。
幸い軽度で、2週間ほどで退院することができた。後遺症もほとんどなし。日常生活もまったく普通。
でもあの時から、何かが変わったような気がする。
どこが、と言われてもよく分からない。本当は変わっていないのかもしれない。でも何となく。父がなのか、私がなのか。分からないけれど。


昇平さんの家族はみんな優しくて暖かい。
症状が進んでとんでもないことをしでかすことも増えた。それでも、みんな優しく見守っている。
もちろん困惑したり疲れたり、曜子さんにいたっては自分を顧みない介護で、網膜剥離を放置した結果入院手術するはめになったり。
優しい家族に見守られながら、でも昇平さんは、やっぱりだんだん遠くに行ってしまう。
いろんなことを忘れて、どんどん身軽になって、遠ざかる足取りも早くなっていく。

10年という時間をかけた昇平さんの長いお別れは、時間をかけた分きっと、家族にたくさんの思い出を残したはず、そう思った。
楽しいことをたくさん。もちろんそうでないことも、たくさん。忘れたいことも、忘れたくないことも、忘れられないことも。


父は今年、大腸検査で腫瘍が見つかり、手術含め再び2週間の入院を経験した。入院中は手術と環境の変化でかなり混乱し(せん妄というらしい)、先生や看護師さんにずいぶん迷惑をかけ、私は毎日謝りたおしていたけれど。
幸い今回も無事に退院でき、その後の定期検査では再発も見つからず、なんとか平穏に過ごしている。

穏やかな日々が戻った。一時はもう二度と戻らないと覚悟した日々が、戻ってきた。つまらないことでけんかすることもたびたびだけれど、それでも父が元気で生きている日々が、本当に嬉しい。

この本を読み終わった日、今日は早く帰って父ともっと話そうと思った。
一緒にテレビを見ようとか、今度の休みのお昼は何か食べに行こう、とか。
なんでもいいから、いつもより少し多く話をしようと思った。とは言いながら、またつまらないことでけんかもしてしまうのだろうけれど。
あとどれくら残っているのか分からない、でも幸せな日々。
そんな日が一日でも長く続くといいな、と思った。

******

あきらとさんの企画に参加しました。ありがとうございます。面と向かっては言えないことをここで言わせてくれて。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

いただいたサポートを使って、他の誰かのもっとステキな記事を応援したいと思います。