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ポケモン映画は、ほぼジブリ

私の考えは、あまり肯定されることがない。
友達の間でも、それは違う。なんか違う。
けれど…これだけはそうじゃなかった。
ポケモン映画はジブリ

ジブリ映画の目的とは?

これをわかってない奴が多すぎる。
ジブリは、私たちの暮らしの中でたびたび起こる、
自然現象の恐ろしさや、人間のやってきたことの恐ろしさを、
わかりやすく、面白く知るために作られた物だ。
例えば「もののけ姫」
あの作品は、

  1. 子供たちの心の空洞

  2. 至る所に起こる差別

  3. 人間と自然との関わり

  4. 人間の憎悪の増幅作用、殺戮へ突き進む闘争本能

  5. 神秘主義合理主義の対立

この5つの問題を課題として世間に提示したとともに、
ハンセン病の恐ろしさを世間に広めたという、
いろいろな要素が詰まっている作品だ。
後に、宮崎監督はこう語る。

「物語の図式は森と人界の対立。乙事主たちとエボシたちが激突する、
ここまでは観客の予想図式と一致する。
普通の映画ではこれで全部辻褄が合う、ただの宿命の対決となる。
ここで予想を破壊する、宿命も何も無い、もっと暴力的な図式を提示する。乙事主たちとエボシたちがぶつかる、
そのエボシたちの後ろから侍たちの大きな勢力が加わっている。
さらにそれが進行した形態として、侍たちが突出して
エボシたちを飲み込み、乙事主たちと直接ぶつかっている図が描かれる。
アシタカが事態に気が付いたときには、既にこの図式のようになっており、なぜこんなことが起こったのだろう、という形で事態が転化していく。
それはその中で翻弄されるアシタカの心境であり、
それは観客と同じ次元になる。事件に気が付き、
発生した順番の逆から出会って行くのが現代であるためである。」
予想を裏切る。
これまでの映画では到底あり得なかった考えだ。

ポケモンも負けていない!

ここからは結構、馬鹿馬鹿しい話が続くが我慢して聞いてほしい。
ポケモンの作品は、各作品で表面で伝えたいことと、
裏で本当に伝えたいことがあると考えている。
ミュウツーの逆襲
この映画の作中で、ピカチュウがボロボロになりながら叩きあっている描写があります。この映画が公開された時期は、
アメリカがイラクへ大規模攻撃を始めた時期だった。
この時期に公開した映画で、このシーンが注目されるようになっているのは、同じ人間同士でボロボロになりながら殴り合うのは何も生まないことを言っていると私は思う。
最近の映画も、表面で伝えたいことも裏で伝えたいこともあると思う。

”ポケモンはジブリである”


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