肩書きを外す時間
私には母・妻・嫁 このような肩書きがあります。
もちろん、交流の中でそれぞれの立場での意見を述べるときなどはありますが、ネットの世界は肩書きからの解放だと思って活動しております。
昨日は嫁として、姑との会話でかなり気力を消耗しました。
今だに少々余韻を引きずっております。
私のにもそんな日がありますよ!
他県に住む叔母は、行き来が不自由な時代になってから、同居する姑と夫を相次いで亡くしました。
田舎の広い家には自分ひとり残されました。同じ敷地に住む息子一家はあまり顔を出さないらしいです。
この世の中、お葬式にも行けませんし、顔も長くみておりません。
閉鎖的な場所で様々な事に耐えてきた叔母は、私の姑を妹のように可愛がり、よく電話をかけてきていました。
ここひと月ほど、音沙汰がなかったので、力を落として寝込んでいるのではないか?と心配していました。
そうしていると昨日、叔母から電話があり姑が話している声が聞こえてきます。
やはり、気分が落ち込み、そのうえ急な暑さで体調を崩していたようです。
何度も「早くお父さんの所へ行きたい」と言っていたとのこと。
姑が叔母に声をかけていました。
「自分で人生を終わらせることはできないんだから。私も一時期、そのような事ばかり考えて〇〇さん(私)に訴えていたけれど、『最後まで人生は全うしてください』と言われてグサッと来た」と話していました。
長電話が終わって、叔母はどんな様子だったかと姑と話をしました。
叔母も会いたいと言っていたというので、会いに行きますか?と言うと、
「愚痴ばかり聞かされてもしんどい」「電車ですぐ来られると言うけど、1人では行けない」と返ってきます。
叔母に会うよりも、幼馴染の友達に会いたいというので、会いに行きますか?と言うと、
「あちらもまだ仕事をしているし」「一人では行けない」送って行きますよと言うと「私一人、置いて帰るのか」と返ってくる。
大きな溜息を体の内側に吐く。
姑には悪気が無いのがわかっています。
でもそれがまたチクチクと気力を消耗させることもあるのです。
他県に住む息子一家にもう2年以上会えていないので、「自分の息子や孫だから会いたいわ」と私に言うけれど、私が何年実家にゆっくり帰ってないか知ってますか?って思う。
しかし私は、姑を看取るまでは心地よく暮らしてほしいと思っています。
それは私の人生の優先事項なのです。
このことは、嫁だからとか、家族だからとか、するべきとか、そんなこともあるかもしれないけれど、「決めたから」というのが最もしっくりくる。
覚悟をもって決めたこと。だから私はそのための労力は惜しみません。
私が留守にすると不安になるという姑の状態なら、出かけることも最小限にするし、どこへ行くにも一緒がいいと姑が思うならそうします。
なので、姑に「迷惑ばかりかけている」とか「早くいなくなればいいと思っているんでしょう」などと言われると凄まじくモヤモヤします。
私の兄や、大した知り合いでも無い人に「姑は旦那に世話させろ」とか言われたら凄まじくイライラします。
例えば、夫に好きな人ができたから離婚して再婚したいと言われたら、
「姑がショックを受けるし、あなたに姑を看取る覚悟があるとは思えない。姑が人生を終えるまでは離婚しないけれど好きにしていい。ただ悟られるな」
と言うと思うのです。
それほど「決めて」いるのです。
ネットに現れる私は肩書きを外して解放された私。
ネットの世界と、実生活とでバランスを取っていると思う今日この頃。
そして、気力が消耗した私は、ネットの世界の推しを訪ね、ねぇねぇ…とツンツンしてナデナデとしてもらいます。
もちろんナデナデは主観です。
そうして、フフフ…と思っているうちに回復していくのです。
………うむ…
こんな感じになるんですよ…
愚痴的なものや、弱音を吐くと、ますます散らかってまとまらない。
言いたいことの半分も言えている気がしない。
ま、たまにはいいか。
浄化~✨