生きづらさを理解したい
放課後デイに来ている子どもを見ていると、生きづらいだろうなぁと思うことがよくあります。
感性が特殊すぎるから。
それを理解されないから。
世間一般では、そんなことで?と思うようなこともその子たちにとってはしんどくて我慢できないことだったりします。
支援学校でさえ、理解されないでしんどい思いをすることもあります。
私も理解したいと思うけど、完全には理解できないから、そんなこと…と思っていつも間違えます。
靴を履くことが苦手なのに学校で靴を履いてないことを指摘されてしんどくなった子に、私も知らず外に出るなら靴を履くよう勧めてしまうのです。
わかってあげたいのにわからない自分が悔しいです。
わかってもらえないその子たちが悔しいです。
何とかしたいのに何もできないことが悔しいです。
その子たちの感性をわかりたい。
周りの人にわかってほしい。
そのままで生きてほしい。
我慢できないくらいしんどいことから避けることを許されて生活できるようになってほしい。
こうであるべきであることなんて、この世にどれだけあるのでしょう?
価値観なんて人それぞれで、みんながみんな大切にしないといけないことはそんなに多くないのではないでしょうか。
ふ
靴なんて履かなくてもいいんじゃないか。
しなくてもいいことはきっとたくさんあるはずです。
どうかこれからの人生が生きづらくないようにと願います。
私もまだまだ理解の途中です。