理系を目指そうぜ!
文系理系って区分は日本だけらしいっすね。
学問を区分するってなったら、モノを対象にする自然科学か人間の活動を対象とする人文社会科学かって分けるのが外国では一般的です。
国語が出来たら文系、数学が出来たら理系って高校の時点で別れたが最後、一生の進路が決まってしまうのは日本ぐらいのもんです。
は?ポカホンタスか俺は。
知らん知らん知らん知らん。
どこかわからん外国の話なんかしてじゃねえよ、シンガポールにでも移住するんかバーカ。
こちとら日本語しか喋れんわプログラミングスキルも持ち合わせていねえわで日本で骨埋めるしかネンだわ。
……取り乱しました、失礼。
何の話でしたっけ。
ああ、理系文系の話ですね。
幼少期を日本で過ごした俺はやはり、理系の方がいいなと思いましたねえ。
ということで文系の俺が思う理系のいいなあと思う点を書いてきたいと思います。
もう文系を選んでしまった、あるいは商業高校だよ私は、という方も是非最後までお読みください。
あなたたちにも理系になるチャンスはあるのです。
それもこの記事を読み終わってすぐ、あなたも理系になれるのです。
1.論理の世界で暮らせる
理系のやつらってのは物事が全て論理で説明できると思ってけつかるんですね。
だから、いちいち行動の理由を聞いてきやがる。
例えば俺が就活で靴だけスニーカーを履いちゃったなんてときに理系が出てきて尋ねる。
「汝、間違えたのはなぜか」
んなもん理由なんかねえわ、うっかりしたくらいのもんだろバーカ。
と言いたいところですが。
この反論は許されません。
なぜか。
理系の世界に偶然、アクシデントはないからです。
全ては必然、理由がある。
原因があって結果があるのだから、俺が靴を間違えたのだって、合理的に説明できるはずだ。
と、こういう世界観で生きていける。これが理系のメリットです。
何かストレスが溜まった時は、誰かから適当な違和感を見つけて「何で、何で」と質問攻めにしてみてください。
気持ちよさそうですね。
ですが気を付けてください。
質問を続けるといずれ、「ビッグバンが起きたのはなぜか」という問いに辿り着いてしまいます。
この問いが罠なんだ。
万が一にでもこの問いに辿り着いてしまったなら、全力で逃げてください。
この問いに真剣に向き合ったが最後、理系は理系でいられなくなるんです。
特に理系学部に入った大学生は要注意!
せっかく理系として、すべてが必然、(a , b)を通る接点t!そっから何本接線が引けますか問題、所詮手際よく解けるように作られた入試問題という箱庭で気持ちよく生きていけたというのに、
自然科学に正面から向き合ってしまったがために、あなたの隣に物理学(学士)、または数学(学士)、工学(学士)という原野への扉が出来てしまうのです。
扉を通ってはいけない。究極的には神がサイコロ博打を振る自然科学じゃあ、理系は生きていけない。
なまじ自然科学に手を染めてしまったが最後、この世に偶然、理不尽があることを認めてしまうのですから。
「太陽がまぶしかったから人を殺した」???
そんな文系みたいな世界で生きたくないですよね♡
とはいえ、この心配は杞憂でしょう。
ビッグバンに辿り着く遥か手前、「電車に遅れそうだった」とかの「聞き心地のいい説明」さえ聞けば理系の”””論理”””は満たされるのですから。
バーカ。
ネクスト!
2.人の感情を考慮しない
理系の世界には目に見える物事しかありません。
一の目がこちらに向いてるサイコロの裏側には、
無が広がっています。
だから人の感情も存在しません。
感情という攪乱要素が存在しないので、理系の世界において人間と機械の区別はありません。
理系にとって他者とは、こちらの行動に応じ決まった対応をしてくれるプログラムであり、決められたパターンの組み合わせなのです。
なので例えば「おはよう」に対し、他者が、他の作業に集中していたとか調子が悪かったとかの要因で、答えなかった場合、理系はそうした要因に一切の配慮想像をせずに、そっけない対応を失礼だと言って怒鳴り散らすことができるのです。
正確にいうと、自分は怒鳴り散らす権利があり悪いのははおかしな対応をした他者であると信じることができるのです。
また他者は、誰であっても脳内教科書に書かれたいくつかのパターンのどれかの落とし込めれるのであり、どちらともつかないという曖昧さは一切捨象される。
理系が一度せっかちな人と決めたら、その人は一生せっかちな人です。
「ある状況においてはせっかちだが、別な状況下ではのんびりしている。どちらとも判断がつかない事例がいくつかあった」は科学です。
こんな思考回路身に着けたって生きづらさが増えるだけです。
ラストぉ!
3.役に立つ人間になれる
理系は自分を文系に比べて役に立つ人材だと思っています。文系と言えばインクの染みから作者の気持を考えることばかりしていて、趣味の延長みたいな卒論を書いて、おう俺は博士だ人間のスペシャリストだ、人の心が操れるなどとうそぶいている。社会を研究した割に社会参加を忌避し、やれ労働は人間本来の活動ではない、精神を高める芸術にこそ従事すべきだなんだと傷をなめ合い、貧乏にあえぎながら本棚の隙間で青瓢箪と化している自分を慰めている。
あいつらがいったい何の役に立つのか。理系の俺は役に立つ人材だ。
※ただし外国語学部は除く。
一方、自然科学と人文社会科学では、役に立つ立たないという議論はつきものです。「その研究が何の役に立つのですか」という質問は限りなくおはように近い言葉です。
ですが、「何の」の背後に金銭的商業的利益が透けて見えるので、この問いは議論の吹っ掛けではなくただの嘲りだろうと俺は思います。そりゃ企業を来期黒字にするために哲学とか理論物理学なんか役に立たねえだろうよ?
ですが。
理系においては成り立ちます。なぜなら理系の背後には、ガリレオとかの創作物が示すイメージ。あるいは使っている道具、すなわち数式や図形といったものが欧米から伝来したアルファベットであるというカッコよさがあるからです。
それに工学や薬学、医学なんていういくつかの分野の自然科学は社会に求められている。
だから俺も役に立つ。だって俺理系だから!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いかがでしたか。
後一個、「文章を読まなくていい」って特徴も思いついていたのですが、現時点で2500字を超えそうなのでもう書きません。
もうしんどい。睡眠時間削ってまで何でこんなドブの底みてえな記事書いてんだ俺は。
でもあいつら、計算得意だからって文章読めない自分を肯定して、何なら文系にマウントとってきやがるからな。
大学の数学なんてむしろ数式なんてほとんど出てこないのに。ていうか国語が苦手な時点でただ計算が早いだけの馬鹿だろ。
バーカ、バーカ。
ばーか。
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