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父のレシピ

 わたしの父はフィルム時代の報道写真家だった。定年間際にデジタルカメラの時代が到来したのは、父にとっては幸いだったのかもしれない・・・。
 
 退職と同時に父はシャッターを切ることを止めてしまった。わたしは今もその当時の気持ちを父にたずねることはない。

 コロナ禍で支給された給付金を足しにし、デジタル一眼を手に入れた。今のわたしの宝物である。高価なおもちゃをいじくり始めたわたしに、父が手渡してくれたものがある。古い1冊のノート。それは半世紀ほど前、父が東京の写真学校で撮影技術を学んでいた頃の研究ノートだった。

 ライティング、絞り、ピントの合わせ方、状況に応じた対処法、云々。細かな文字でびっしりと記されている。それ自体はデジタル化された今の時代だって、写真家を目指す人ならば一通り勉強することだろう。

 ただ、わたしはある箇所で、ページをめくる手が止まってしまった。

      メチルアルコール 50cc
      メトール     14g
      無水亜硫酸ソーダ 50g
      ハイドロキノン     14g
      か性ソーダ              9g
      臭化カリ                 9g
      水を加えて        1000cc
※ この現像液は使用10時間前に調合し、保存が効かない。
20℃ 4-6分で使い、その都度捨てる。アルカリ性が強いから感光膜軟化に特に注意。

 それぞれの液体の配合と注意事項のメモ書き、つまり父の現像液のレシピだ。眺めながら胸が詰まった。

 もちろん、今だって出来合いの現像液が手に入らないことはない。しかし、プロの写真家でさえ今の時代、現像液の調合からこだわりをもってやっている人はいないだろう。

 当然のことながらその昔、フィルム写真は撮りながら仕上がりを確認することはできなかった。父の話によると、ひととおりライティングをセットした後、ポラロイドカメラで撮影し、ある程度の仕上がりを確認することはあったそうだ。

 それでも、すべては現場で一発勝負の撮影だった。出来栄えは現像するまでわからない。そこで失敗すれば、すべてが水の泡だ。

 フィルム時代の写真家は、現像までこなしてようやく一人前だったという。そういえば、現役だった頃の父の手はいつも荒れていた。それは正真正銘、職業写真家の手であった。

 そうした途方もない手間と時間をかけ、やがてお手製の現像液に浮かび上がる一枚の写真の影・・・。父は、いったいどんな思いでその「瞬間」を待っていたのだろう。

 デジカメもミラーレスの時代になり、高画素化、軽量化、高性能化が恐るべき速さで進んでいる。現像液の配合の仕方なんて知らなくたって写真を撮ることはできるし、メモリーを初期化すれば、何度だって撮影の練習もできる。現像だってプリンターで好みの設定をすれば一発でオーケーの時代だ。

 およそ半世紀前の父のノートを眺めながら、「フィルム写真には敵わないなぁ・・・」と、わたしは思う。もちろん、デジタルにはデジタルにしかできない表現というものがある。たとえば色彩の豊かさやスピードが求められるジャンル。フィルム写真はデジタル写真に敵いっこない。

 それでも、「表現」というテーマを考えた時、ここまで表現者自らが関わり、手を加え、我が子を取り上げるように現像液からすくい出した一枚というものが、たとえ『古い、昔のものだ』と言われようとも、現代のデジタル写真に劣るとは私には思えない。
 
 いや、「表現」というテーマを考えた時、むしろ、より大きな自由を獲得できるのはフィルム写真の方ではないか、そんな気すらしている。

 父はどんな思いでこの時代の移り変わりを見届けたのだろう。それを思うとふと切なくなる。デジタルカメラを頑なに拒否した父は、実はスマホすら使えないでいる。そんな父が、私は愛おしくてならない。

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