002「I Love You の訳し方」 著者:望月竜馬/絵:ジュリエット スミス

読み始めたきっかけ

 私の愛する混沌、ヴィレッジヴァンガードで見つけて一目惚れしたところを、幼馴染が誕生日プレゼントに贈ってくれた。

 私と彼女は虚構に対する比較的偏愛、執着がすさまじく、また我々は偏愛の名においては他者を容易に切り捨てられる部類の人間であるという所で分かりあってると思う。私と彼女の決定的な違いは、彼女は人付き合いがうまく、社会をうまく渡り歩いているが、私は正反対だ。本に関係はないので詳しくは書かない。私の心の中に大切にしまっておこう。

 夏目漱石が外国人にとっての「I LOVE YOU 」は日本人にとっては「月がきれいですね」と訳すのが相応しいとした有名すぎる話当時ちょうど二度目くらいのブームを迎えていたのもあった。私は「私死んでもいいわ」のほうが好きだったりする。

それと、その当時友人関係の不和や友人だったものからのいじめなどがあり、友人への会いと友人からの愛にはこれっぽっちの信頼もなく、また当時は家も結構ギスギスしていたのもあって家族愛に関しても不信感を募らせつつあった。そうすると必然的に信じられるのは恋人からの愛だけだった。また、当時「夢を見ている」人物がいて(今も好きで、人生の恋人である)、それが本当に理想そのもので私にとっては立派な恋人であったため、そんなこともあって強く惹かれた。

▶特に好きな表現

厳選された表現は「①情熱的 ②感傷的 ③個性的 ④狂気的 ⑤浪漫的」の5つに分類される。ただ、特に好きなものをいくつか引用させて頂く。


「あなた様なしには、私の今後の芸術は成り立ちませぬ もし あなた様と芸術とが両立しなければ 私は喜んで芸術の方を捨ててしまいます」

ー谷崎潤一郎「根津松子へ宛てた手紙」より P20.21

 痺れた。谷崎潤一郎が好きというのはある、ただ、それ抜きにして本当に好き。使い古された「たとえ世界のすべてが敵になっても~…」もモチロン好き。こういう思考回路を持った人間なので、いろいろな意味で「夢を見ている」。あの谷崎潤一郎が芸術を捨ててもいいなんて。私の語彙力のすさまじき枯渇を恨む。


「この頃はお前の事を考えるとまず頭の中に涙がうかんでくる。悲しい涙ではないが、涙は自ずとうかんで来、お前は元気にしていてくれているだろうと思う」

ー武者小路実篤「妻・安子へ宛てた手紙」より P62.63

 確かに思い浮かべると涙が出てきそうになる。昔好きだった人とか思い出して元気かどうか気になったりする。幸せに過ごしていてくれたら良いのだけど。


「僕は君が結婚したら、死ぬ。きっと死ぬ」

―福永武彦 「海市」より p134.135

 結婚は「社会の制度によって妻の可愛さを独占する行為」であると表現された評論を読んだことがある。それを思い出した。独占から解放される、そのときを待てばまた…というのはあるが、あまり綺麗事は好きじゃないので正直に書かせてもらうと、チャンスが巡ってこない可能性のほうが圧倒的に高くなる瞬間ではあるので、死ぬと思うのもわかる。そしてだんだん中原中也の詩が読みたくなってくる。中也はその点本当に偉い。


「怖がらなくていいさ、僕はお前に惚れているんだもの、バカだね」

―北原白秋「福島俊子へ宛てた手紙」より p188.189

 どう言葉にしようか難しい。ただすごく良い。良さを言葉にする行為さえ愚かしく感じる。こう、「バカだね」が過去一番いい仕事をしている。普段だと「バカ」呼ばわりされると腹が立つのだが、これだけはすごくいい。かけてはいけない要素になっている。すごい。余裕があるのもなんともそんな感じがする。


改めて著者のコメントを見ると、私の感想の薄っぺらさが目立って変に黒歴史に触れられたような気持ちになるのでここでやめておく。

 私が選んだもの以外にも本当に良いものばかりで、しびれる表現もたくさんあるので、。だから手紙や小説など言葉を選んで組み合わせる行為はとても高尚なものである。言葉はそれでも不完全で、その本人な感情は本人だけのものなので決して我々は本当の意味で分かりあうことなんてできない。だけど不完全なものに託してまで伝えたいことがあるという事実に揺るぎはない。

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