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”女の園”から覗いたパリ体験記①

時は1999年2月9日。
雑誌「OLIVE」を中学の時初めて読んでから、パリの魅力に取りつかれ、
初の一人旅ももちろんパリ一択のパリ依怙贔屓の私です。
平日は会社員、週末はバイト(今でいう副業をふた昔前に実行!)でお金をため、東京での会社員生活に別れを告げて、パリ留学がスタートしました。

「地球の歩き方」フランス留学編をくまなく調べて、旅立つ前に2つの決意をたてました。
・「衣食住」を節約して、パリを楽しみつくす!ヨーロッパという地を楽しみつくす!
・言葉の壁があるから、自分のことは何を言われてもスルーしよう。でも
親のこと、友達のことで馬鹿にされたら、「喧嘩してやる!」
「語学留学ですよね?」と突っ込みたくなる少々ズレた決意を胸に、過重料金ギリギリの荷物を詰め込んで、パリ11区にある「Palais de la Femme(女の園)」に到着しました。
Plais(宮殿)という名前よろしく、シャロンヌ通りとフェデルブ通り(フランス映画「猫が行方不明」の舞台になったカフェのある通りです)
の角に鎮座する築100年の女子寮がこのお話の舞台です。

 私はコーディネーターの方にピッタリ寄り添うようにドキドキしながら、
呼び鈴を鳴らして女の園にとうとう足を踏み入れてしまいました。
「あー観光じゃないんだ。住むんだ~パリに!エトランジェ(異邦人)よね。パリだしね」なんて、不安ながらも、どこか夢見心地でもありました。

 女の園のエントランスホールは、大理石の床、天井はガラス張りで右手には、お屋敷にありそうな大きな観音開きの立派な装飾の施された年季のこもった扉が2つ。(後から分かるのですが、1つは図書館、1つは教会につながる扉でした)コーディネーターさんと受付のおばさんがやり取りしている間、ハイジが初めてクララのお屋敷をみて驚いたような気分で、口をポカンと開けたままエントランスホールを見回していました。

 「はい、これがあなたの部屋の鍵ね。明日は、●●時に学校の手続きに行きましょう。また明日」とあっさりとコーディネイターさんとお別れして、
建物の大きさにしては小さいエレベーターに乗り込みました。
私と私の荷物で満杯のような空間に、「Excusez-moi」と言って、ぐいぐいと入ってくる二人の女の子。日本なら、「先どうぞ」と言いそうですが、ここはフランス。ちょとでも隙間があれば「もちろん行くでしょ。ブーと鳴らなければラッキー」ぐらいの感覚です。

 私の部屋のある3階(フランスでは1階は「R=地上階」なので、実際は4階)に降り立つと目の前に大きな観音開きのお屋敷扉。「ギーッ。バンッ」と押し開けると長く真っ暗な廊下が続いています。
両サイドには部屋番号と名前が彫られた錆びた真鍮のプレートが付いたお部屋がたくさん並んでます。(その昔、修道院だった名残がそのままの状態で残っています「まだないな~」次の扉を「ギーッ。バンッ」と。まるでホーンテッドマンションのツアーライドのように扉を次々を開けて、
ようやく私の部屋に出会えました。
「憧れのパリライフがスタートするっ!イェーッ!」とワクワクして鍵を開けた瞬間、、、「独房」???
膝から崩れ落ちるように、パリ生活の幕が上がりました。

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